【話の肖像画】メディアの寵児になったが… 演出家・宮本亞門⑭(1/2ページ) - 産経ニュース

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話の肖像画

メディアの寵児になったが… 演出家・宮本亞門⑭

日本レコード大賞で司会も担当した=平成5年12月、日本武道館
日本レコード大賞で司会も担当した=平成5年12月、日本武道館

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《演出家としてのデビュー作となった『アイ・ガット・マーマン』(昭和62年初演)は大成功。再演を重ねて、63年には文化庁芸術祭賞を受賞する》


再演は人気を呼んでホントに売れましたね。公演は毎回が立ち見ですごい反響でした。そのおかげでしょうか、メディアが続々と取り上げてくれるようになったのです。

演出家といえば、年配のイメージが強かったのでしょう。会ってみたら、ニコニコしている甘ったれの男の子のような僕が出てきて「えっ? こんな若い人だったの」「ホントに演出しているのですか」と驚かれる。〝ジャニーズ系演出家〟なんて書かれ方をしたこともあって、女性誌までがインタビューに来ました。

20代のうちにどうしても演出家としてデビューしたい、というプレッシャーや、ブロードウェーへのキラキラした思いがぎゅうぎゅうたまり、バネを発射するみたいに飛び出してできたのが『アイ・ガット・マーマン』だったと思います。未知の世界への不安と興奮によって出すエネルギーによって無心になれた、というのかな。すごく貴重な経験でしたね。


《舞台の成功で宮本さんは一躍メディアの注目を集めることになった》


言われるまま、誘われるまま、メディアにどんどん露出しているうちに、個人事務所の電話は鳴りっ放し…。ほんの数人でやっていましたから、もうビックリです。「ジャパニーズ・ドリーム」ってホントにあるんだなぁ、って。


《デビュー作の成功を受けて、大舞台での演出のオファーもきた。日生劇場でやったミュージカル『エニシング・ゴーズ』(平成元年初演)》


それまでは小規模の劇場でしたが、初めての大劇場。すると、テレビ局が密着取材をして、ドキュメンタリー番組をつくるというのです。まぁ、テレビは〝新しい物〟には飛びつきますからね。