話の肖像画

演出家・宮本亞門(63)(13)「アイ・ガット・マーマン」 初演出作品が大成功

演出家としてのデビュー作「「アイ・ガット・マーマン」の再演最終舞台けいこで。(左から)演出家・宮本亜門、田中利花、諏訪マリー、中島啓江=平成14年、銀座の博品館劇場
演出家としてのデビュー作「「アイ・ガット・マーマン」の再演最終舞台けいこで。(左から)演出家・宮本亜門、田中利花、諏訪マリー、中島啓江=平成14年、銀座の博品館劇場

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《演出家としてのデビュー作となった自作の『アイ・ガット・マーマン』は昭和62年4月、東京・築地の小さなホールで幕を開ける》


資金は、アルバイトでためたおカネをつぎ込み、足りない分は、おやじから借りた。かねて舞台を見て「いいなぁ」と感じていた、オペラ歌手の中島啓江(けいこ)さんらに出演を依頼しましたが、いかんせんおカネがないから、「3万円」くらいしか払えない。会ったこともない、実績もない僕の頼みをOKしてくれました。みんな年上。ボーヤのような若い僕が必死で頼むから、引き受けてくれたんじゃないかと思います。

会場も、おカネのない僕らが、ようやく借りることができたのは、築地本願寺(東京都中央区)の地下にある定員が200人に満たない小さなホールでした。もちろん、自前の稽古場もありませんから、各自治体の公民館の部屋などを順番に借りて…毎回、机やイスを片付けてスペースをつくっていたのを思い出します。

僕は、台本を書きながら、宣伝のチラシをつくって、せっせと郵送していました。とにかく僕がやらないと誰もやってくれる人はいません。あまりに他の仕事に追われている姿を見て、出演者の皆さんからは「ちゃんと演出もやってね」と心配されたくらい。

そうした準備に約半年、稽古は1カ月くらいでしたか。初日の客席は半分くらいでした。僕は友達もあまりいませんしね。それでも頼んできてもらった友達のひとりが真ん中の席で、開演したとたんに、いびきをかいて眠りこけているではありませんか。僕は思わず、台本で、そいつの頭をこつんとたたいて「起きろ!」って(苦笑)。


《ところが、2日目にはほぼ客席は埋まり、3日目には立ち見が出た》


たったピアノ2台で展開するミュージカルですが、そこで歌われるのは名曲ぞろい。何よりも、ショービジネスの世界で熱く生きた女性(エセル・マーマン)のすごみが感動を与えたんだと思います。

クラブやキャバレーショーっぽい構成も、日本ではあまりなかったでしょうね。それでいて演劇の要素もしっかりと組み込まれている。出演者が舞台から下りていったりする〝観客参加〟型の展開も「楽しかった」と言ってくださった。