【話の肖像画】演出家・宮本亞門(63)(12)友人の苦言、その先に見えた光(1/2ページ) - 産経ニュース

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演出家・宮本亞門(63)(12)友人の苦言、その先に見えた光

20代のころ、ミュージカルに出演
20代のころ、ミュージカルに出演

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《22歳のとき、母・須美子(すみこ)さんを突然亡くした宮本さんは、憧れていたアメリカ行きを決意する》


しばらくぼんやりとしたままだった僕は「このままじゃいけない」と思い、かねて考えていた米ニューヨークへ行くことを決意しました。演出家になりたい気持ちがだんだんと強くなっていたし、ミュージカルの本場・ブロードウェーで「本物」に触れてみたいと思ったからです。

渡米して2カ月後に帰国した僕は、またオーディションを受けて舞台に出たりしましたが、しょせんはその他大勢のダンサーの一人でしかありません。ダンススタジオを経営したり、アルバイトでショーパブの振り付けをやったり…。どれも中途半端でした。


《ダンススタジオを畳んで27歳のとき、今度はロンドンへ向かう。「20代のうちに演出家としてデビューしたい」という思いが次第に強くなっていた》


ロンドンには約1年半いました。掃除のアルバイトで食いつなぎながら、ダンスのレッスンを受け、夜はミュージカルやオペラなどを観(み)まくりましたね。イタリアにも出かけ、毎日はとても刺激的で勉強にもなったけれど、演出家として「何をやりたいのか?」と聞かれると、どうにも考えがまとまりません。

再び東京へ戻り、自分なりにミュージカルの企画書を書いて、プロデューサーに持ち込むことを始めました。いずれも米ブロードウェーの作品を日本語に翻訳したものです。3本の企画を立てましたが、どれもダメ。「お前はダンサーだろ。演出家なんてムリだよ」というのが、だいたいの反応でした。


《うまくいかない愚痴を聞いてもらった友達の苦言から「ヒント」をもらう》


プロデューサーの低評価にがっかりした僕は、自暴自棄になってイタリアで知りあった女性の友人に電話をかけて愚痴りました。「しょせん、日本じゃ(ミュージカルでは)劇団四季か宝塚(歌劇団)など有名どころしかないんだよ。演出家になるにはそうした会社へ入る以外に方法はない」ってね。