【話の肖像画】演出家・宮本亞門(63)(10)大学を中退…母と突然の別れ - 産経ニュース

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演出家・宮本亞門(63)(10)大学を中退…母と突然の別れ

母親が倒れた前日の『ヘアー』の稽古で
母親が倒れた前日の『ヘアー』の稽古で

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《大学でやれることは「やり尽くした」と感じ、3年で中退を決意する》


4年生の最後の発表会(卒業公演)で3年生の僕が主演を務めたころ。ある教授がふと「あと1年は卒論だけだから」と漏らしました。ガクッと来ましたね。そんなにやることないのだったら卒業証書なんて意味ないじゃないって。

そのころ、僕は新聞で、銀座・博品館劇場で上演されるブロードウェー・ミュージカルの「出演者募集」という小さな記事を見つけました。岡田真澄さんの演出、真帆志ぶきさん主演の『シーソー』です。僕は大学を中退して、そのオーディションを受けることを決意します。もちろん両親にはナイショでした。


《会場へ行ったら周りは〝できる人〟ばかりだった》


僕はちゃんとしたダンススーツも持っていなかった。「僕なんかが来る場所じゃなかったんだ」と、急に弱気になって会場を飛び出し、怖くなって建物の前をぐるぐると4周も。覚悟を決めてTシャツにゴルフズボン姿、はだしで汗だくになって必死に踊りましたが、絶対に落ちたと思いましたね。ところが結果は合格。後で岡田さんに理由を聞いたら、「あまりにも真剣だったからね」って話してくださった。いずれにせよ、これで大学中退は決定です。意を決して両親に打ち明けたら、当然のごとく、猛反対。「冗談じゃないよ。あと1年で卒業でしょう」というわけです。

両親は僕を説得してもらうために、高校入学からずっと見てくれていた、くだんの演劇の先生のところへ連れて行きました。大学1年生のとき、振り付けをめぐって「ニセモノ」と叱られた、あの先生です。驚いたことに先生は中退に賛成してくれた。「宮本君は(大学を)辞めた方がいい」って。

両親はビックリです。先生いわく、「宮本君はどこか精神に弱いところがある。演劇の世界で生きていくつもりならば一刻も早く、荒波にもまれた方がいい」と。先生にそこまで言われたら両親も中退を認めざるを得ない。ただ、先生はこうも…。「そのかわり自分で全部責任を負いなさい」。僕はこの言葉を聞いて、うれしいよりも緊張感で恐ろしくなりました。


《オーディションに合格したのはよかったが、プロの舞台は厳しく、苦労の連続》


稽古はすごく厳しかった。特にタップダンスではメチャクチャにしごかれましたね。僕は一番下っ端だから、朝一番に稽古場へ行って掃除から始めねばなりません。でも、真帆さんらの歌やダンスを毎回、すぐそばで見ることができて、とても勉強になったと思います。そして「僕だったらこうしたい…」と考えてみたりして、演出家になりたいと思うようになったのもそのころかもしれません。


《ミュージカル『ヘアー』にも出演が決まる。初日を明日に控えた日…。リハーサル後に自宅アパートへ帰ると母・須美子さんが風呂場で倒れていた》


おふくろは意識がなく、僕はあわてて救急車を呼び、おやじにも連絡。病院に運ばれたおふくろは心臓マッサージを受けましたが、間もなく息を引き取りました。死因は脳溢血(のういっけつ)。『ヘアー』の舞台をすごく気にかけていてくれ、「初日は絶対に観(み)に行くから」と連絡をくれたのが最後の会話となってしまったのです。昭和55年、僕が22歳の春でした。(聞き手 喜多由浩)

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