朝晴れエッセー

骨に語る・5月23日

昨年末、母の実家の墓じまいをした。

95歳で逝った祖母の小さな骨壺と一緒に、砂となっているだろうご先祖も共同墓に納めることになっていた。

当日、一通りの儀式を終え、墓石をずらしたときだった。「法律上、このままでは処理できないんですが…」と業者さん。

砂混じりに祖父とおぼしき骨がわずかに見えた。慌ててみんなで集めて持ち合わせの袋に入れ、砂だけの状態にして作業を続行してもらった。

袋を抱えて車で実家へ移動。とにかく砂だけでも落とすことにした。少しずつ丁寧に洗っていくと祖父のカケラが見えてきた。

祖父が亡くなったのは初孫の私が中1の夏。孫たちは火葬場には行かなかった。祖父の遺骨と対面するのは初めてだ。戦没者や震災行方不明者のご遺族の方の気持ちがやっとわかった。

骨はそう簡単には砂と化さないのだ。こんなカケラになっても、祖父の人生が刻まれているんだと思えた。

祖父はスマトラ島に出征していた。戦中戦後を、祖父母や父母が生き延びたから私が生まれた。もっと遡(さかのぼ)れば、今よりずっと厳しい環境の中、災害や飢饉(ききん)や疫病をくぐり抜けてきた遺伝子の延長線上に私はいる。

「コロナ禍でのつらさを誰かのせいにしても解決しない。私なりの努力を続けて、このコロナ禍を突破するわ、じいちゃん」と思わず手のひらのカケラに話しかけたのだった。

中﨑雅美 53 大阪市住吉区