話の肖像画

演出家・宮本亞門(63)(4)母から教わった芝居の素晴らしさ

4歳から日舞を習った
4歳から日舞を習った

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《両親は新橋演舞場(東京・銀座)前で喫茶店を経営していた。周囲は三味線がどこかから聞こえてくるような花街(はなまち)の雰囲気があって、芸者が人力車に乗って行き交いしていた》

料亭や割烹(かっぽう)旅館も多く、夕方になれば、黒塗りのハイヤーが列をなす…。喫茶店のお客さんだった日本舞踊の藤間勘十郎(ふじまかんじゅうろう)先生(六世)のお宅に4歳から通って稽古をつけてもらったり、小学生になってからは茶道の教室にも。

喫茶店の子供だった〝特権〟で、演舞場の楽屋などにはしょっちゅう出入りして、お芝居を観(み)ていました。当時、勘九郎(かんくろう)だった歌舞伎役者の中村勘三郎(かんざぶろう)さん(十八代目)と楽屋で一緒に撮ったグラビア写真が芸能雑誌に載(の)ったこともあります。

《母親の須美子さんは元、SKD(松竹歌劇団)のレビューガール。幼いころ、母に連れられてさまざまな芝居やショー、映画にも親しんだ》

僕は自他ともに認める「マザコン」(苦笑)。おふくろに連れられて、小さいころからレビューのショーを観(み)に行ったり、歌舞伎や新派など、芝居の見方や素晴らしさを教えてもらったり…。僕が舞台に出るようになってから、いろんなアドバイスをしてくれたのも、おふくろでした。

歌舞伎では、子供のころから観ていた、中村歌右衛門(うたえもん)さん(六代目、平成13年84歳で死去)が、とりわけ好きでしたね。

(得意演目だった)『道成寺(どうじょうじ)』で、まりつきをする場面があるのですが、その動きが表面的じゃなくて、ホントにそこへ入っていくのです。「すごいなぁ」って感動したことを覚えています。おふくろも「歌右衛門さんこそ本物よ」とずっと言っていましたよ。

おふくろは明るくて豊富な話題で喫茶店を切り盛りしていた。演舞場に出ていた渥美清さんや藤山寛美(かんび)さん、新国劇の島田正吾(しょうご)さん、辰巳柳太郎さんらがおふくろとの会話を楽しみにして、幕間(まくあい)や出番前によく来てくださった。和服のきりりとした姿、明るい笑顔で応対していたのを覚えています。

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