今から100年以上も前に日本で感染症と闘い、17歳の若さで亡くなった女性看護師がいた。彼女の名は岩崎ゆき。日清戦争の大本営が置かれた広島市の陸軍予備病院での勤務を志願し、中国戦線でコレラなどを発症した帰還兵の看護に従事した。「自分の命を投げ打ってでも」。ゆきの決死の覚悟は、変わらぬ看護の尊さを今に伝える。
戦死者9割が病死
岩崎ゆきは明治10年12月、現在の京都府亀岡市で生まれた。小学校を卒業後、京都市内に女中奉公に出ていたが、そのとき偶然目にした看護師募集の新聞記事を読んで感激し、すぐに日本赤十字社へ応募した。