フクさん(福本豊)の言葉に甘え、『江川騒動』をついつい書き込んでしまった。幾つかの疑問点は解明できたと思うが、それでご容赦願いたい。
さて、話を「勇者」に戻そう。世間が「江川問題」で騒いでいた昭和53年12月、『阪急ブレーブスOB会』が発足した。発足式は9日、兵庫・宝塚グランドホテルで行われ、OB425人のうち85人が出席。草創期に球団代表を務めた村上実・能勢電気軌道社長(当時72歳)が初代会長に選出された。
村上実―チームを一から作り上げた人物である。この連載でも紹介した。
10年10月のある日、阪急百貨店の洋家具売り場に勤務していた村上は、本社上層部から「大至急、職業野球チームを作れ」というワシントンに滞在中の小林一三社長からの電報を見せられた。当時29歳、入社4年目のことである。慶大出身で野球部に所属していた村上は名将腰本寿監督のもとでマネジャーを務めた。同輩に宮武三郎、山下実、後輩には水原茂など慶応黄金期を築いた錚々(そうそう)たるメンバーがおり、大学野球関係者への人脈が広かった。村上は全国を奔走。11年1月23日、『大阪阪急野球協会』が発足した。それから42年…。
「当時は準備資金がふんだんに使えてなぁ、巨人の選手からよく『阪急はいいなぁ』といわれたよ。ユニホームも格好よく、女優の高峰三枝子さんがユニホームに憧れて阪急ファンになったぐらい翔(と)んでるチームやったんや」と村上会長は懐かしそうに振り返った。
夜の懇親会には近鉄の西本監督も出席。梶本監督と初めて顔を合わせた。「まぁ、一杯どうぞ」と梶本がビールをつぐ。
西本「なんや、阪急頑張れ―の声ばっかりやなぁ。カジのところとウチのチームは電鉄同士でライバルやから、親しくてもトレードもできんな」
梶本「そうですね。来年は思いっ切り胸を借りるつもりでぶつかります」
西本「殊勝なこというな」
担当記者たちに囲まれた西本はこうつぶやいたという。「相変わらずきまじめな男や。それがカジのええとこでもあり、弱さにもなる。来季が楽しみやで」。熾烈(しれつ)な〝師弟対決〟はもう始まっていたのである。(敬称略)