今、世界は新型コロナ禍の渦中にある。もっともこうした感染症の大流行は、昔から何度もあった。
では、その流行はいつまでも続くものなのであろうか。そのようなことはない。医学が今日のように発達していなかった以前の人類史上においても、いつの日か必ず終息した。
なぜか。どのような理由か。
その答えに決定的なものはないが、唯一、確実に言えることがある。それは<生命の本質>に基づくからであると。
<生命の本質>とは何か。それは決まっている。地球上で新しい生物になれるのは、その生命が永続できることに成功することである。
例えばペスト。その昔、「黒死病」と恐れられ、多大なる死者を出したこの病気も、現在では有効な感染予防策が講じられている。ただ、病気を起こすペスト菌自体が消えたわけではなく、今も数は減ったものの、感染者・死者を出している。
これに対し、新型コロナウイルスは新生である。専門家によれば、ウイルスは「生物」と言い切れないらしいが、必死になって「生き残ろう」としていることでは多くの生物と変わりがない。すなわち、それが今の大流行を引き起こしているのだ。繰り返すが、そういう現象はこの地球史上、何度も何度も起こっているのである。
では、どうすればいいのか。
コロナウイルスが「生き残ろう」とする本質は、われわれ人類と同じである。とすれば<生命の本質>に従って対処するほかない。過去のペスト菌のように、感染をコントロールした上で「ウイルス」と共生することを承認する。そして、感染拡大の自然な終息を待つことだ。
もちろん、マスクを着用するなどの予防措置は取り、その間にワクチン接種を進めつつ。
その昔、感染症に有効なワクチンもなく、悲惨な大流行を招いていた。それに反し、現代はワクチン開発などの予防措置によって多くの感染症がコントロールされている。そういう人類の歴史を学ぶべきである。特に、小、中、高では積極的に教えるべきであるが、どうもそのようには見えない。聞こえる声は、遅れた学習内容をどう取り戻すかとか、大学入試への取り組みがどうだとかといった話ばかりである。
このコロナ禍なればこそ、生命の本質をはじめ、人類が闘ってきた歴史上の病気、それを克服してきた人類の知恵等(とう)を教えるべきではないのか。
たまたま見た、NHKのテレビ番組「看護師たちの限界線」で、コロナ患者の看護に当たる看護師たちの覚悟において共通していたことばは「使命感」であった。
老生、涙がこぼれた。看護への若い人の覚悟が明確に示されていたからである。
使命感―これ以上のことばはない。菅義偉首相以下、政権の担当者も使命感を抱いて、<善政>の最善を尽くされたい。
『孔子家語(けご)』五儀解に曰(いわ)く、災妖(さいよう)(天変地異や悪疫など)は善政に勝(まさ)らず、と。
(かじ のぶゆき)