日曜に書く

論説委員・別府育郎 「心を踊らせてあげたい」

週に1度、新幹線の車窓から解体される日劇を横目で見ながらの学園通いが始まった。日劇はとうになく、跡地にできた有楽町マリオンも築36年となる。学園で子供好きを演じているうちに、本当に好きになった。

母のことも思った。全盲だった母から「あの花きれいね」と聞いたことはないが、「風がお話ししている」といった不思議な感覚を学んだ。停電の暗闇で父とロウソクを探していると、「目が見えるって不自由ね」と笑われた。障害とは、一人一人の個性なのであって、世の中に健常者なんていないんじゃないか。今はそう考えている。

独特な感性による子供たちの素晴らしい絵画で知られる学園だが、神崎さんの振り付けによるダンスもこれまで、数々の賞を受賞してきた。

パラリンピック

この夏、東京で2度目のパラリンピックが開かれる。学園の設立時、宮城さんの相談相手は「パラリンピックの父」と呼ばれる医師の中村裕氏だったのだという。神崎さんには疑問があった。「なぜオリンピックと分けるのか」。一方で多くのパラ関係者には、五輪に勝ちたいという矜持(きょうじ)がある。地元開催の大会が、神崎さんの疑問に、きっと答えを出してくれる。

宮城さんは昨年3月21日、93歳で亡くなった。宮城さんは学園の子供たちから「お母さん」と呼ばれていた。男性の職員は「お兄さん」、女性職員は「お姉さん」。皆、家族なのだ。神崎さんは「かんちゃん」と呼ばれる。「僕は友達なんだね」

新型コロナ禍でリモートでの指導が続く中、今年4月、久々に直接学園を訪れた。子供たちの大合唱が迎えてくれた。

「かんちゃん、お帰りい」

神崎さんは80歳の今も変わらず、モテてモテて、モテまくっているらしい。(べっぷ いくろう)