朝晴れエッセー

健チャンと健さん・5月15日

私は建築屋である。現場管理もすれば作業の手伝いと、現場では何でも屋である。

年を食っているから、力仕事は頼りにならないけれど、誰もが大事にしてくれるので、若い者から「健チャン!」となれなれしく呼ばれても気にはならない。

会社は身内の多いことから、子供の頃の呼び名のまま、呼び慣らされて77歳になった。さすがに新しいお施主さんや他社の職人さんには、奇異な目で見られることも。

先日、近所の幼友達、4人ばかりで久しぶりに顔を合わせた。子供の頃のやりとりになっても、気兼ねや気遣いはいらない。

すし屋のおやじさんは、私より3つ年上だがきりっとしたいい顔をしている。

彼は、「〇〇さん」と敬称で呼ばれていて、決して偉ぶってもいないのに、私などとはどこか違って偉く見える。他人さまの顔に人生の重みが感じられたとき、ふっと「自分は…」と考えさせられてしまう。

おやじさんは子供の頃から面倒見がいい先輩だった。中学に上がる日、私ら小学生6人くらいを広場に集めて宣言した。

「これから僕を〇〇チャンと言わず、〇〇さんと呼ぶこと」

白線の入った帽子に詰め襟の姿は、きりっとして大人びてみえた。私たちは戸惑った。〇〇チャンでもええやん。

今もかくしゃくとした先輩に接すると、「宣言」の心意気は無駄でなかった、と思えてうらやましい。

でも私が「健さん!」と呼ばれでもしたら、格好よすぎやしないかと、どぎまぎするに決まっている。

竹田健次 77 大阪市中央区