本郷和人の日本史ナナメ読み

古文書の大原則 やりとりは「同レベル」で

後宇多上皇院宣(京都府立京都学・歴彩館東寺百合文書WEBから)
後宇多上皇院宣(京都府立京都学・歴彩館東寺百合文書WEBから)

中世の文書様式、応用編その2といきましょう。


東寺寄検非違使俸禄事、厳伊僧都申状、奏聞候之処、寺用闕怠之条、処申非無謂、早可被停止之由、被仰下候也、以此旨可令申入給候、仍執達如件、

(文保二)四月五日 宣房

謹上 大教院法印御房


東寺寄(よせ)検非違使(けびいし)俸禄の事、厳伊僧都(そうず)の申し状、奏聞(そうもん)し候の処、寺用闕怠(けったい)の条、申す処、謂われ無きしもあらず、早く停止せらるべきの由、仰せ下され候也、この旨を以て、申し入らしめ給うべく候、よって執達くだんの如し、


鎌倉時代後期になると、有力な寺社には担当の検非違使がつきました。検非違使は平安時代からの朝廷の役職で、有名ですね。高級警察官僚に相当します。彼らは自分が担当する寺社について様々(さまざま)なサービスをしていたのですが、その分の俸禄、すなわちサラリーは、朝廷ではなくサービスを享受する担当寺社が負担する習わしでした。この文書では、東寺が給するサラリーが問題になっています。奏聞は天皇や上皇にお伺いを立てること。この文書が発給された年次は文保2年ですので、政治を行っていたのは後宇多上皇、となります。寺用はお寺の歳入。ということを踏まえて、意味は以下の通り。


東寺担当の寄せ検非違使のサラリーのことでありますが、厳伊僧都の申し状を上皇に奏聞したところ、「寺の歳入が欠けてしまうというのでは厳伊の申す処はもっともである(直訳すると、【正当性がないわけではない】。漢文を読み下すときによくある言い回し)。早く寄せ検非違使のサラリーを停止するように」と上皇は仰せになりました。この旨をどうぞお申し入れくださいますように。取り次ぐことは以上の如くであります。


東寺からのサラリーを失うことになる検非違使についての処遇は、ここでは書かれていませんね。おそらくは東寺に代わって朝廷が何らかの手当をすることになるのでしょう。ここまでは、宜(よろ)しいですね。中味は至極シンプルです。ただし、基本的なところ、この文書を誰が、誰に出したか、これがなかなか難しい。吟味していきましょう。

まず形式的な差出人(2)は明らかです。宣房。家名は万里小路(までのこうじ)で、時に前参議。つまり参議という職は引退しているのですが、かわらず、後宇多上皇の側近を務めています。このあたりは皇位を退いても政務の実権を手放さない上皇のありようと似ていますね。宣房について詳細に解説していくと終わりませんので、今回はあくまでこの文書に関することに限定しましょう。

形式的な差出人がいるということは、これまで解説してきたように、真の差出人(1)がいる。それは、「仰せ」を出した後宇多上皇その人。つまりこの文書は、上皇の仰せを伝える奉書であり、主体が上皇の場合は「院宣」と呼ばれます。ですから、文保2年4月5日、後宇多上皇院宣、が本文書の正しい文書名になります。

差出人の次は受取人です。「謹上 大教院法印御房」とあるから、大教院法印さん(3)でしょう? はい、そのとおりなのですが、院宣の語句をよく見て下(くだ)さい。「このことを申し入らしめ給え」とあります。「せしめ給う」。出ました、二重敬語。大教院さんは後宇多上皇の判断を、だれか(4)に上申する役割を担っています。しかもその人は、二重敬語を用いられるほど、高貴な方である。

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