終戦直前の昭和20年4月、貴族院に「朝鮮・台湾勅選議員制度」が設けられ、10人が選ばれている。『議会制度七十年史』(衆議院・参議院編)によれば、台湾からは3人。中に林献堂(りん・けんどう)(1881~1956年)の名があった。経歴について、同書には、台湾総督府評議員、台湾製麻社長などが書かれているが、台湾議会設置請願運動など、民族運動指導者としての活動が有名だろう。
一方、台湾よりも人口・面積の規模が大きい朝鮮からは7人が選ばれた。尹致昊(ユン・チホ)(当時・伊東致昊)ら戦後、〝親日派〟のレッテルを貼られ、今も糾弾され続けている人が多い。
これら議員の任期はいずれも、帝国議会議長が「消滅」を表明した、翌「21年7月まで」と記されているが、混乱の中で国会の赤じゅうたんを踏むこともなく終戦を迎えている。