東京特派員

湯浅博 晴れた日は「森と広場」に限る

武漢発の新型コロナウイルスのせいで「ステイホーム」を強いられ、公園歩きを励行されている方が多い。拙宅から車で10分の距離に、東京ドーム11個分という広大な自然公園があり、ちょっとしたトレッキング気分が味わえる。

水鳥が泳ぐ千駄堀池を中心に、木もれ陽(び)の森や稲作体験、自然観察舎もあるお気に入りの場所だ。「それはどこの公園?」と問われて、「住所不定」「国籍不明」と軽口をたたく。公園名を「21世紀の森と広場」と称しており、この固有名詞では場所が特定できない。今世紀の森と広場なら世界中にある。

20世紀の1993年に、千葉県松戸市が未来をイメージしたつもりで「21世紀」という時間の単位を採用してしまった。悪いことに「森と広場」の一般名詞でつないだからもういけない。地元からは、「千駄堀公園でなぜ悪い」と反対の声が上がった。

自然公園そのものは素晴らしいのに、地名を大事にしない命名者の悪癖はいただけない。

他の21世紀の森と広場に足を延ばそうかと考えていた折に、東京都練馬区「ふるさと文化館」分室の学芸員、山城千恵子さんから「生誕100年 五味康祐」の展示案内が届いた。分室のある石神井松の風文化公園は、森と池の都立石神井公園に隣接している。

オーディオ好きの作家、五味の「生誕100年」に引かれて、いざ石神井の森へ。石神井公園にある三宝寺池は、井の頭池、善福寺池とならんで武蔵野三大湧水池と呼ばれていた。ちなみに、それぞれの公園は地名に由来している。周囲の田畑が宅地に変わると池が涸(か)れ、いまは地下水をくみ上げているという。

石神井池に沿って石畳を西へ歩くと、池に面した住宅群はまるで別荘地のようだ。ボートが浮かぶ石神井池を抜けて三宝寺池畔に入ると、それまでの喧噪(けんそう)とはがらりと変わる。カルガモやバンが遊泳し、時にカワセミもくる。ヒノキの大木が空を狭く覆い、ひんやりとした空気感がいい。

江戸期には、日本橋辺りから日帰りで遊びに来たとの記録があり、付近の三宝寺、道場寺、禅定院、氷川神社など名刹(めいさつ)へのお参りと合わせ、江戸っ子には人気があった。江戸の人々は健脚である。

出かけた日は、対コロナの緊急事態宣言の発令中につき、分室はお休み。赤松を抜ける薫風の先にある白亜のビル1階に五味の遺品が展示され、2階には遺族から寄贈された巨大スピーカーがデンと構える。五味が愛したオーディオ史上屈指の名品「タンノイ・オートグラフ」である。

10年ほど前、タンノイ製のスピーカーは居場所が定まらず、練馬区役所4階の会議室に身を寄せていた。まもなく、石神井公園に隣接する日本銀行の保養施設が練馬区に移管され、五味の名品たちは管理棟内の分室に終(つい)の棲家(すみか)を得た。

五味は敗戦後の一時期に、ガード下の生活を余儀なくされたことがある。たまたま出会った神保町のレコード社店主の紹介で、無類のオーディオファンである「新潮」の編集長、斎藤十一を知る。斎藤邸で聴いたベートーベンの交響曲第7番が五味を覚醒させた。好きなレコードを聴くために、売れる小説を書く決心をする。剣豪作家、五味康祐の誕生である。

今回は、約2万点におよぶ五味コレクションの中から、新たに発見された芥川賞の時計が展示される。緊急事態宣言が解除されれば、6月27日まで開催される予定だから、見とどけるチャンスはある。

この日は、三宝寺池をぐるりと南側に回りこんで、豊島氏が築城した石神井城址(じょうし)を見た。戦国時代に太田道灌に滅ぼされた悲劇の城跡だ。江戸っ子が愛した氷川神社と三宝寺をめぐって帰途に就いた。晴れの日は、今世紀の森と広場をめぐろう。(ゆあさ ひろし)

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