天然痘がなくなり、日本で30年近く眠りについていたワクチンに2002年、米国から問い合わせがあった。中枢同時テロの翌年。バイオテロに備えてだ。
効果と安全性に優れたそのワクチンは、開発者の名前にちなんで「橋爪株」と呼ばれる。
優れた技術があるのに、育てずに来てしまった。
それが今、肝心要のこの時期に、日本と日本の製薬会社が国内外で役割を果たせずにいる理由である。
薬を開発できる国は限られている。米国、英国、スイス、フランス、ドイツ。日本もその一角に入る。
中国やロシアのワクチンを前提にしないなら、これらの国には、自国だけではなく、他国の感染症も予防する務めがある。
新型コロナウイルスのワクチン開発では、高度な技術開発と協力が見られた。
開発で世界に先んじた米・ファイザー社は発症予防効果95%という製品を1年で作った。イスラエルは自国で大規模データを示せると交渉。世界に先んじて同社のワクチンを獲得した。
病弱な人も超高齢者もいる実社会での結果は通常、製薬会社の臨床試験結果より劣る。しかし、2月末に学会発表されたイスラエルでの結果は臨床試験とほぼ同等。接種が増えれば見つかる新たな副反応もほぼ確認されなかった。
それまで薄かった75歳以上のデータもそろい、評価は定まった。間違いなく歴史に残るワクチンである。
しかし、このワクチンには重大な欠点が1つある。扱いが難しいことだ。移送は超低温管理で、箱から出したら振動は厳禁。僻地(へきち)や離島への移送は容易でなく、途上国の命は救えない。
米欧諸国と製薬会社は先刻承知で世界での配分を考えただろう。製薬会社別の契約数を日本経済新聞社と英フィナンシャル・タイムズが「チャートで見るコロナワクチン」で示している。
ファイザー社の契約相手には欧州連合、米国、日本が並ぶ。温度管理が難しい米・モデルナ社の製品も主な契約相手は先進国だ。
一方、冷蔵保存で済む英・アストラゼネカ社のワクチンの最大の契約相手はアフリカ連合である。同社は当面、営利を目的とせず供給するという。
米・ジョンソン・エンド・ジョンソンの製品も冷蔵保存の1回接種。最大の契約相手は、途上国にワクチンを供給する国際的な枠組み「コバックス」だ。
どの社が開発に成功するかは分からなかったから、米欧は互いに契約しあってリスクを分けた。それは、国民だけでなく、自国の製薬会社を守るためでもあっただろう。
同時に、途上国にどのワクチンを分けるかの役割分担も話されたに違いない。西側の外交・防衛政策そのものであるからだ。
開発する国と協力する国のトップだけが話に入れるインナーサークルであったと思う。
そこでは一体、日本の姿はどう映っているのだろう。開発する能力はあるのに、平時は国民の忌避意識が強くワクチンに消極的だから投資も貧弱。いざとなると、結構な数を欲しがる「ワクチン消費国」なのである。
ウイルスには変異と栄枯盛衰がある。効果が高く、副反応が少なく、使い勝手の良いワクチンは常に需要がある。今からでも遅くない。内外に役割を果たすワクチン開発を。(論説委員)