大阪特派員

山上直子 平城京の「絶景」に幕

 文化財保護の観点でいうと、その後、先の大戦を経て戦後の復興期に入ろうという昭和24年、奈良・法隆寺金堂で火災が起きて壁画が損傷し、それを機に文化財保護法が制定された。

 ところが、古墳や地中にある遺跡などの埋蔵文化財は、戦後復興と経済発展で進む都市開発のなかで破損される一方だった。しだいに考古学の発見や研究が進むと保存運動が起きる。その契機となったのが、30年の堺市のイタスケ古墳、そして37年の平城宮跡だった。

 平城宮跡ではこのとき、近鉄の検車区建設計画が持ち上がっていた。学者だけでなく、広く全国の市民らが参加するほど運動が広がる。中には「大和古寺風物誌」などを書いた文芸評論家の亀井勝一郎や、奈良を愛し住んだことで知られる文豪・志賀直哉らもいた。

 結局、計画は見直されたが、その後も昭和40年代に国道のバイパス計画が持ち上がり、また強い反対運動の結果、迂回(うかい)ルートに変更されている。平城宮跡は埋もれた遺産保護のシンボルなのだ。

 実はひそかに期待していることがある。今回の計画によると、新たな線路は平城宮を迂回して外側(南)に移すという。不遜ながら工事に伴う調査で、新たな木簡などが見つかる可能性は高いのではないか。歴史の新たなページを開く発見があるかもしれない…と、興味津々なのである。(やまがみ なおこ)

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