歴史の交差点

武蔵野大特任教授・山内昌之 素直に社会を見る大切さ

吉田松陰と弟子の金子重之助像=静岡県下田市(関厚夫撮影)
吉田松陰と弟子の金子重之助像=静岡県下田市(関厚夫撮影)

 歴史上の偉人といえども、人間である以上、発想に無理がある場合が少なくない。実際に政策にしたら、実行不可能なばかりか、日本の国民が塗炭(とたん)の苦しみに陥ることを全く考えない人物も多かった。幕末、尊王攘夷運動の先駆者、水戸の徳川斉昭(なりあき)(烈公)や藤田東湖(とうこ)もそうである。2人に共通するのは、ペリー提督に象徴される悪なる墨夷(ぼくい)(アメリカ人)はじめ、夷狄(いてき)をすぐに斬るか、打ち払って日本から遠ざけるという確固たる信念である。斉昭や東湖は、アメリカとのやり取りが戦争に発展して国土が焼尽するだけでなく、回復しがたい打撃を受ける事態をイメージとして描けなかったのだ。

 斉昭や東湖ほどでなくても、吉田松陰にも似たところがあった。松陰は代表作『講孟余話(こうもうよわ)』において、ペリー来航の際、戦争で必勝の信念がなく「陋夷(ろうい)の小醜に従ふ」(劣った夷狄のこざかしさに従属する)に至ったことを批判した(『吉田松陰全集』第3巻)。

 同じ長州藩の元明倫館学頭・山県太華(たいか)は、アメリカやロシアも「主命を奉じて我が邦に来る」のであり、彼らは利害を説いて貿易などを希望し、「大国」として対等の礼で来航したと冷静に語り、激しく憤る松陰をいさめた。さらに、彼らは、言葉で「少しき不遜の形」はあるにせよ、許すべきであるという。「何ぞ必ずしも兵を以て是れを撃つに至らん」と松陰の血気をたしなめる。

 しかも、日本の武備が衰えている現在、彼らがすぐれた武器で江戸を攻撃すれば、騒動は大方でなく海運も滞り、人びとは飢餓に苦しむ。大坂も放火されると禁裏(朝廷)を驚かすことになる。使臣の言動がやや不遜だからといって、どうして深く怒って兵を用い、恨みを外国から買う必要があるのだろうか、という太華の主張には無理がない。彼らは「来りて寇(こう)するに非ず」と、侵略でなく使節を派遣してきたのだと、その平和的性格を強調するのである。