話の肖像画

龍谷大学教授・李相哲(61)(1)山の向こうに憧れて

大阪「正論」懇話会にて=令和元年9月
大阪「正論」懇話会にて=令和元年9月

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《祖国といえる国は3つある。両親の出身地の韓国、生まれ育った中国、そして帰化した日本。新聞やテレビでの客観的な東アジア情勢分析は、この3カ国との絶妙な距離感からもたらされるのかもしれない》

故郷はロシアと国境を隔てる中国・黒竜江省の三江平原北部の紅旗村というところです。1930年代に韓国の慶尚道から農業を営むため集団で移住してきた人たちが後に中国籍を得て、朝鮮族と呼ばれる少数民族になりました。自然の厳しいところで、9月ごろにその年最初の霜が降りると冬が始まります。シベリアからの風がヒューヒューと吹いて雪が降り続く。外では何もできないから家に閉じ籠もるしかありません。春になれば世界は一変します。青い平原、それは水田ですが、果てしなく続いてその向こうに青々とした山が連なっている。

土地は肥沃(ひよく)で、米も作物もよく取れました。食べ物に困ることはなかったから、人情も厚く暮らしやすいところでした。でも空想好きだった私はもっと広い世界へ行ってみたかった。あの山の向こうには何があるんだろう、どんな世界が広がっているのだろう。山の向こうへ行きたいといつも思っていました。

《7人兄弟の6番目として育った。6歳のとき、中国全土を混乱に陥れた「文化大革命(文革)」が始まったが、村民は政治に関心がなかった》

毛沢東から新しい指示があると、それを仰ぐための儀式が開かれ、大会で拡声器が鳴らされるなどしましたが、村の青年たちが「宣伝隊」をつくってそれを宣伝して回るくらい。紅衛兵もいて毛沢東をたたえる歌を歌ったり、忠字舞と呼ばれる踊りを披露したりしていましたが、破壊活動や人を殴るなどはなかった。もっとも破壊すべき建物も、燃やすべき本らしい本もなかったし、大人たちはみな知り合いのおじさん、おばさんでしたから。