文芸時評

5月号 嫉妬の「居場所」 早稲田大学教授・石原千秋

就活でゼミ生が受けた会社では「コロナ禍の中で何が見えてきたか」という課題作文が出た。このつまらない課題にどう答えるかを見るのだろう。

学生は「デジタル化のことでしょうか」と言っている。ソーシャルディスタンスを保つために、ビッグデータを集めるために、デジタル化が求められている。それにゼミの雑談で「世界図書館」とでも呼ぶべき話をしたからかもしれない。日本はずいぶん遅れているが、それでも電子書籍が増えている。いずれ紙の本を作らなくなるだろう。そうなれば早稲田大学附属図書館はホームページだけあればいいことになる。さらには、日本には国立国会図書館のホームページが一つあればいいことになる。著者へは貸し出し回数に応じて印税を支払う仕組みになるだろう。いや、さらには世界に図書館が一つあればいいことになる。便利になるだろうか。おそらくアクセスさせない国がたくさん出るだろう。「世界図書館」は民主主義体制と不可分の関係にある。日本はアクセスできる国だろうか。僕は怪しいと思っている。

コロナ禍でもう一つはっきりしたことがある。それは、日常の中でこれほど軍事技術が可視化されたことはなかったということだ。ワクチン一つ例にとっても、今回のワクチンは日本が行っている鶏卵で培養する方法では作られていない。mRNAワクチンと呼ばれる新型コロナワクチンが軍事技術と深い関係にあることは広く知られるようになった。それに新型コロナワクチンを作った国も、押さえ込んだ国も、攻撃か防御かはさておいて、細菌兵器の研究を怠らなかった国のように思える。日本が新型コロナワクチン開発で決定的な後れを取っている理由が「平和ぼけ」だとすれば、それをどう受け止めればいいのだろうか。デジタル化も国家によるハッキング対策と表裏の関係にあることがはっきりした。いずれにせよ、新型コロナ禍が炙(あぶ)り出したのは、たとえば日本政府のこれらの問題へのぶざまな対応も含めて、政治であることはまちがいない。

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