【日曜に書く】論説顧問・斎藤勉 「ガガーリン」60年後の憂鬱(1/2ページ) - 産経ニュース

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論説顧問・斎藤勉 「ガガーリン」60年後の憂鬱

宇宙飛行士ガガーリンの写真の横に「私たちが最初だ!」と書かれたポスター=12日、モスクワ(共同)
宇宙飛行士ガガーリンの写真の横に「私たちが最初だ!」と書かれたポスター=12日、モスクワ(共同)
「米ソは宇宙で結束を」

 この4月は、30年前に崩壊したソ連共産主義体制の「絶頂」と「奈落」の両極端の出来事に思いを致すひとつの機会となった。1961年4月12日、27歳の空軍パイロット、ガガーリンが宇宙船「ボストーク1号」で人類史上初の有人宇宙飛行に成功した。その四半世紀後の86年4月26日、ウクライナ北部のチェルノブイリ原発で4号炉が大爆発する史上最悪の原発事故が起きた。文字通り天国と地獄。今年はその「ガガーリン」から60年、「チェルノブイリ」から35年の節目に当たる。

 ガガーリンの大気圏外飛行はわずか108分だったが、歴史的快挙にソ連も世界も沸騰した。地上に帰還後、「地球は青かった」(正確には『空はとてもとても暗く、地球は青みがかっていた』)とのガガーリンの名言は世界を駆け巡った。米国を出し抜いて有頂天の指導者、フルシチョフ首相は「共産体制とロケット技術の優位誇示」のため、ガガーリンを世界各国に派遣した。62年5月には来日して東京、大阪、京都、札幌などで大歓迎を受けた。

 初飛行から1年後、ガガーリンは自らの演説で「2つの超大国は、負担が大きく、意味もない軍拡競争に終止符を打ち、宇宙開発の新たな科学の進歩に結束を」と訴え、「偉大なる祖国よ、共産党よ、永遠なれ。そして平和であれ」と結んだ。

ソ連崩壊への駄目押し

 56年2月の「(独裁者)スターリン批判」の後、米・西側との「平和共存」を打ち出したフルシチョフの路線を象徴するような内容だった。しかし、ガガーリンの願いは空(むな)しかった。肝心のフルシチョフが64年10月、突然、失脚した。ケネディ米政権と核戦争の瀬戸際までいった「キューバ危機」の不手際を強硬派から追及されたことなどが理由とされた。ガガーリン自身、ブレジネフ政権4年目の68年3月27日、戦闘機の訓練飛行中に原因不明の墜落事故のため34歳の若さで死去してしまう。

 そして、「永遠なれ」と念じた祖国・ソ連は91年12月、初飛行からわずか30年で消滅する。そのソ連崩壊への最後の駄目を押したのが、チェルノブイリ原発の大惨事である。