脱線事故から16年 犠牲者の母が息子をしのぶ曲

自宅から公園に移植した桜を背に息子の遼太さんをしのぶ岸本早苗さん=14日、兵庫県宝塚市(南雲都撮影)
自宅から公園に移植した桜を背に息子の遼太さんをしのぶ岸本早苗さん=14日、兵庫県宝塚市(南雲都撮影)

 桜の季節は、哀(かな)しみの中に-。乗客106人が死亡した平成17年のJR福知山線脱線事故が原因で息子を失った母親が、癒えることのないさみしさを詞にまとめ、歌を作った。息子の形見代わりに公園に植樹した桜は今年も花をつけ、まだ細い幹をまっすぐに伸ばしている。歌と花を通じて、多くの人に事故のことを考えてほしいと願っている。(鈴木源也)

 「りょうちゃん、おはよう」。兵庫県宝塚市の公園の隅。近くに住む岸本早苗さん(77)が桜の木に声をかけ、日課の水やりをしていた。息子の遼太さん=当時(25)=は花が好きだった。自宅には遼太さんをしのんで、たくさんの鉢植えが置かれている。「天国で園芸部の部長をやっていると思う」と笑顔を見せた。

 16年前の4月25日、遼太さんは4両目に乗車し、首などを負傷した。命は助かったものの、現場の凄(せい)惨(さん)な光景が頭から離れず、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した。

 追い打ちをかけるように不慮の事故で父を亡くし、症状がさらに悪化した。「何で自分だけ助かってしまったのか」。遼太さんは、大事故を生き残った人が抱く特有の罪悪感にさいなまれ、事故から3年半後に自ら命を絶った。

 残された早苗さんも一人思い悩んでいたが、遼太さんの生きた証を自分が語っていかねばと、そのことを自身の生きる糧に日々を過ごしてきたという。

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