朝晴れエッセー

28歳の消防士・4月23日

民間企業に5年勤めた後、私は28歳で消防士になった。40年前のことだ。

消防学校への入校は定員の関係で1年先送りされ、4月、訓練を受けずにいきなり現場に配属された。東消防署。建物は古く車庫付きの飯場のようなところだった。

1日おきの24時間勤務。最初に与えられた仕事は飯炊きだった。昼は麺類で夜は魚と肉を交互に出す。包丁など握ったことのない私は、必死に出汁(だし)を取り、薬味のネギを刻み、魚を焼いて肉と野菜を炒めた。

深夜、ベッドで眠れずにいると「プーン」とスピーカーから火災指令が流れる。バネ仕掛けのように飛び起き、タンク車に乗り込む。夜の火災はオレンジの炎が満月のように見えた。現場では先輩に怒鳴られた。「邪魔だ、どけ」「さっさと鳶口(とびぐち)をもってこい」。右往左往しながらも言われたことは実行した。

半年たって私は包丁さばきの腕を上げ、放水作業も経験した。だが現場で長靴が釘を踏み抜き怪我をするなど、つらいことの方が多かった。民間企業にいた頃を懐かしく思うことも。

ある非番日、先輩2人と連絡車で査察に出かけた。夜勤明けの私は後部座席で居眠りを始めた。

「俊、眠ってるよ」。声がした。「ああ、疲れているのさ」「頑張ってるからなぁ」「そうだ。寝かせといてやれ」。その言葉は、砂漠のように干からびた私の心に慈雨となって染み渡った。もう少し頑張ってみようと眠ったふりを続けた。

そして32年後、私は無事消防を退職できたのである。

工藤俊逸 68 青森市