島を歩く 日本を見る

石の景色広がる モヤイ像の聖地 新島(東京都新島村)

【島を歩く 日本を見る】石の景色広がる モヤイ像の聖地 新島(東京都新島村)
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 東京・渋谷を象徴する「モヤイ像」。その素材は新島のコーガ石である。

 新島は東京の南方約160キロの太平洋に浮かび、富士火山帯に位置する。太古から噴火を繰り返し、海底が隆起してできた火山島だ。島はほぼ火成岩の一種である白いコーガ石(正式名称は黒(くろ)雲(うん)母(も)流(りゅう)紋(もん)岩(がん))で形成され、この火山石は特に色が白くて質が良いそうだ。

 島の南にある向(むかい)山(やま)がコーガ石の採掘場所。民間企業のほか、明治末期から昭和30年まで島民専用の「自家用山」として村営の採掘も行われた。島の人は必要に応じて石を切り出し、一部を村役場に納め、残りは自家用に持ち帰った。女性たちも石を頭上に載せて運搬を担ったと伝えられる。

 コーガ石はガラス質のケイ酸含有率が非常に高く、火に強い。加えて水に浮かぶほど軽く、のこぎりで切れるほど柔らかい。風の強い島で、防火や運搬、加工に適した建材として人の暮らしに溶け込んでいった。

 島の古い記録では、江戸中期に本(ほん)村(そん)地区の神社の鳥居やほこら、流人墓地の墓石などにコーガ石が使用されたことが分かっている。大正期になると、住居や商業施設、集落の石塀などに利用された。コーガ石の屋根を使った住居は珍しく、石の目を読めば雨漏りがしないという。石文化が育まれる営みのなかで、「みんなで力を合わせる」という風習が生まれ、それを島の言葉で「モヤイ」と言った。

 コーガ石の建材需要は昭和40年代後半がピークで、バブル崩壊とともに激減。平成19年には村営事業は終了し、現在1社が採掘している。

 平成29年、新島出身の梅(うめ)田(だ)久(く)美(み)さんは、コーガ石で建てられた元映画館を保護利用するため宿にしてオープン。石がむき出しの壁や天井をあえてさらけ出し、島らしさを演出する。

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