昭和53年のストーブリーグはあちこちで「騒動」が起こった。
◆クラウン身売り、西武ライオンズ誕生
◆阪神再建で〝小津の魔法使い〟登場
◆阪急監督交代劇、上田-梶本へ
◆ヤクルト・広岡監督辞任騒動
◆上田発言で「田淵放出」発覚
◆阪神、ブレイザー監督就任
◆田淵深夜のトレード通告で西武へ
◆江川騒動
来春の入社を前に〝小僧〟として時々、現場に顔を出していた筆者は、先輩記者たちから「お前が騒動呼び込んどるんとちゃうか」とよく言われた。<へぇ、そうなんや>-とうれしくなった。
ドラフト会議(22日)を前に米国ロサンゼルス滞在中の江川卓が動いた。後見人の船田中(当時は自民党副総裁)が蓮実進秘書を通し11月6日午後、東京・渋谷区の国土計画本社を訪ね、船田名による「西武入団拒否」の親書と巨人を除く11球団に配る〝声明文〟を手渡したのである。声明文にはこう書かれていた。
『江川君の考え方に対して批判することはたやすいことでありますが、本人はあくまでスポーツマンとして自分が決めた初心を貫徹したいという気持ちであります。私としては江川君の巨人志望が成就するよう努力したいと決意を新たにしているところです。ドラフトにかける各球団の良識あるご判断を静かに待つ心境であります』
西武の堤義明オーナーも翌7日、「交渉継続」の記者会見を開いた。
「江川君が巨人にしか行けない状況ならまだしも、ウチの調査では9球団が今ドラフトで指名するという。そうなれば、どこへ行くのかはくじ運しだい。なら確率の悪いくじに賭けるより、ウチに入団する方が江川君にとって最善の策と信じている」
だが、西武の抵抗もここまでだった。宮内球団社長が渡米し15日に直接交渉を行ったが江川の答えは「ドラフトを待つ」。再度指名の同意書も求めたが拒否されてしまった。
「提示した条件が不満だとか、西武に嫌悪感を持っているというのではない。西武入りを拒む根深い何かが江川君の周囲にある」
根深い何かとは…。宮内社長の言葉に担当記者たちはゾッとするものを感じたという。(敬称略)