志らくに読ませたい らく兵の浮世日記

名人芸の凄み光る古典芸能

立川らく兵
立川らく兵

 古典芸能はどうして古典芸能なのでしょう。というと変な日本語ですけど、たとえば落語なら、どうして昔からある話を何度も聞いていて飽きないのでしょう。

 一つには、いつでもどこでも誰にでも共感できる内容の話が語られているからではないでしょうか。時代によって分かりづらい落語は自然に語られなくなるし、その時代に受け入れられやすい落語は、演者にも聞き手にも好まれて残っていく。

 またもう一つは、演者の個性を楽しむのが古典芸能の醍醐味(だいごみ)だからかもしれません。同じ演目でも演者によって全く違う味わいになる。その個性を時代に合わせて存分に発揮した人が、のちに名人と呼ばれるのでしょう。

 私が生まれて初めて聞いて笑った落語は、五代目柳家小さん師匠の「狸賽(たぬさい)」でした。人間に助けてもらった狸が恩返しにくるというお話で、その狸がサイコロに化けます。狸だから体のいろんなところを使って化ける。一の赤い目は「逆立ちして尻の穴」というフレーズが小学生の私には衝撃的におかしくて、父親に何度もカセットテープを巻き戻してもらって聞いた記憶があります。決しておどけることなく、あくまで淡々と面白いことを語り続けるテープの中の名人にカルチャーショックを受けたのでした。

 学生時代に好きになったのは古今亭志ん生師匠でした。高い声でフワフワした語り口。だけどその中身は、人間の面白さ、情けなさ、かわいらしさ、バカバカしさをこれでもかというくらいに語り込んでいる。「黄金餅(こがねもち)」なんて落語は普通に考えればけっこう怖い話です。ケチなお坊さんが、餅にお金をくるんで飲み込んで死んでしまう。その金をどうにかして手に入れようと考える隣家の男。ヒチコックなんかが描けば怖い怖いサスペンス映画になりそうだけど、志ん生が語ると、笑えるおとぎ話みたいになるのだから、すごいもんです。