東京や関西など6都府県に蔓延防止等重点措置が適用され、再拡大の様相を呈している新型コロナウイルス。日々の報道をはじめインターネットなどには関連情報があふれるが、自分が感染したり身近に感染者がいないため、なかなか実感がわかない-という人も多い。2月に新型コロナに感染し、心身の変化や入院生活、家族への影響などをつづった「感染記」を電子書籍で出版した男性は「いざ自分が感染してみると分からないことばかりだった。明日はわが身だと思い、知ってほしい」と訴える。(大渡美咲、鬼丸明士)
感染防止徹底も…
神奈川県横須賀市の会社員、佐竹敦さん(46)が「異常」に気づいたのは2月13日だった。寒気を感じ、検温すると37・5度を計測。その後、夜にかけて熱は上がり、のどの痛みと頭痛で何度も目が覚めた。
翌14日は熱は下がり、出社することも頭をよぎったが、念のため市の相談窓口で教えてもらった救急医療センターで新型コロナの検査を受けた。車に乗ったまま検体をとるドライブスルー方式の抗原検査の結果は陽性だった。
1人で外食することはあったが大人数での会食はせず、感染者との接触もなかった。マスクを着用し手洗いも欠かさず、思い当たるのは往復2時間程度の通勤時間ぐらい。その日は、神奈川県が発行する「新型コロナウイルス感染症 自宅・宿泊療養のしおり」を受け取り、薬を処方されて自宅に戻った。
難しい自宅療養
佐竹さんは3階建ての一軒家に母と妻の3人暮らし。母親は高齢でパーキンソン病を患っており、佐竹さん自身も基礎疾患があった。自宅に戻ってもいいのか、家族もPCR検査を受けた方がいいのでは-。帰りの車中で考え、相談窓口に電話したが「保健所からの指示がないと対応できない」と、にべもなかった。
自宅の2階に妻が養生シートを張り、急ごしらえの隔離部屋を作ってもらった。幸い家にはトイレと風呂が2つ以上あり、家族と別にすることができたが、自身の基礎疾患もあり、不安はぬぐえなかった。
保健所に説明し、宿泊療養を希望したが、提案されたのは自宅療養だった。無料通信アプリ「LINE(ライン)」を通じた1日1回の定期確認、血液中の酸素飽和度を測定する「パルスオキシメーター」の貸し出し、配食サービスなどについて説明を受けた。
だが、その日の夜、呼吸の苦しさや胸の圧迫を感じるようになった。24時間体制の「神奈川県コロナ119番」に相談したものの、「薬を服用して様子を見ましょう」と言われるのみ。不安は募り、妻や友人に「ありがとう」とメッセージを送るほど思い詰めた。
明けて15日朝。保健所からは当初、自宅療養継続を伝えられたが、午前11時過ぎに一転、鎌倉市内の病院への入院が決まった。「30分後に民間の救急車両が来る」と伝えられ、急いで下着などを準備した。
病院に着くとレントゲンや心電図、採血などが行われ、その後は体調も回復し、10日間の入院生活を経て2月24日に退院できた。「トイレや風呂が分かれていたが、(家族と)共有するものも多く、自宅療養は無理だと思った。入院が決まり、ほっとした」と振り返る。
家族への影響
当初予定されていた自宅療養では、保健所から「順調にいけば外出可能」と説明を受けていたのは発症から10日間が経過した2月24日。結果的に入院したのと同程度の期間だったが、濃厚接触者である母と妻は、2月24日からさらに14日後の3月9日まで「健康観察期間」として自宅待機するよう求められていた。
一方、医療従事者である妻は、勤務先の医療機関から「(佐竹さんが退院後も)完全に陰性と分かるまで同居は避けてほしい」と要請され、市内の実家から職場に通勤する日々を余儀なくされた。結局、佐竹さんは退院後の3月7日に自費でPCR検査を受け、妻と再会できたのは入院から3週間以上たった同10日だった。
妻は最悪の場合、退職も考えたといい、佐竹さんは「重症化しなくても隔離をされたり、家族に行動制限がかかるなど、感染した本人よりも、家族に迷惑がかかると実感した」と話す。
現在は後遺症などもなく感染前と変わらない生活に戻った佐竹さん。「災害のようにコロナにも備えておくことが大事だと感じ、自身の体験をまとめた「新型コロナウイルス感染記」を執筆した。「ある日突然感染して、社会からも隔離される。目に見えないから怖い」とし、「明日はわが身。感染するとどうなるかを知り、自分の経験を役立ててほしい」と訴えた。
「新型コロナウイルス感染記」は、電子書籍専門のアドレナライズ社から出版(http://adrenalize.co.jp/)。定価495円。