朝晴れエッセー

50年前の話・4月14日

高校に進学したとき、先輩の誘いもあって当然のように私はバスケットボール部に入部した。当時20人ほどの部員だったが、3年生が引退するときには2年生1人、1年生4人の最低限度の人数になっていた。

それを機に男子OBの先輩がコーチをしてくれることになった。大学では現役選手バリバリのコーチは、たった6人で練習する中で私たちをしごきまくった。

と同時に公式戦の審判をする中で知り合った強豪チームの監督たちに、練習や練習試合をしてもらえるよう頭を下げてまわってくれた。休日を利用して、私たちは強豪チームの2軍や3軍の選手たちに相手をしてもらった。見かねた男子OBの先輩たちも仕事や学業の合間をぬって一緒に練習してくれた。

厳しい毎日の練習に私たちは疲弊し、特に私は反抗ばかりしていた。

「一生懸命やってます!! もうできません!!」「開き直るな!! バカヤロー!!」

座ることも水を飲むことも許されない中、レモンばかりかじっていた。

コーチは自身のけがもあって大学のクラブを退部し、あげくの果てに私たちのコーチに専念するため大学まで辞めてしまった。でもそのかいあってか、私たちは奇跡的に阪神間でベスト16に残り、県大会に出場できることになった。初めてコーチと泣いた。

そのときの感謝の気持ちは、今もなお、試合の帰りにごちそうになった、駅の立ち食いうどんやチョコレートパフェの味とともに思い出す。忘れない。もう50年も前の昔の話。

多田秀子 65 兵庫県芦屋市