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『六士(ろくし)(氏)先生』という唱歌がある。日本統治時代に台湾総督府が公学校(小学校)に通う台湾人児童向けにつくったオリジナル曲。大正4(1915)年「公学校唱歌集」4年生用に収録され、昭和9~10年に改訂された第2期の公学校唱歌集では5年用となった。当時の台湾っ子ならば知らぬ者がいなかった有名な唱歌である。
主題は、統治開始(明治28年6月17日)から間もない、29年元旦に発生した「芝山巌(しざんがん)事件」だ。志(こころざし)を持って台湾へ赴任したばかりの日本人教師(学務部員)6人と用務員が、土匪(どひ)と呼ばれた土地の武装勢力によって惨殺された事件がモチーフになっている。
作曲者は、総督府国語学校(後の師範学校)の音楽教員で、多くの台湾独自の唱歌をつくり、台北放送局管弦楽団の創設にもかかわった一條慎三郎(いちじょう・しんさぶろう)。ただし元歌がある。事件から4年後にできた『弔殉難六氏の歌』。こちらの作曲者も国語学校音楽教員だった高橋二三四(ふみよ)。加部巌夫(いずお)(『霞(かすみ)か雲か』の作詞者)の詞はほぼ踏襲されている。