受信機が映す戦後復興期の日本人 日本ラジオ博物館で企画展(1/2ページ) - 産経ニュース

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受信機が映す戦後復興期の日本人 日本ラジオ博物館で企画展

受信機が映す戦後復興期の日本人 日本ラジオ博物館で企画展
受信機が映す戦後復興期の日本人 日本ラジオ博物館で企画展
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 先の大戦直後の昭和20年から25年頃のラジオ受信機を一堂に展示する企画展「焼け跡のラジオ」が今月、日本ラジオ博物館(長野県松本市)で始まった。焦土に数少ない娯楽を提供したラジオ。幾多の工場が海外品の物まねから製造を始め、後の情報家電大国の礎を作った。機械好きはもちろん、メディア史や経済学など幅広い分野の貴重な歴史的資料がそろう。(原田成樹)

仮想からリアル博物館

 約100年前に登場して一大文化を築いた「ラジオ」。メディアとして主役の座は明け渡したものの、根強いファンに支えられ、現在でも災害時には強いライフラインとして役割を果たす。同博物館は、収集家の岡部匡伸さん(57)が平成19年にインターネット上に開設した仮想博物館を24年にリアル化したもので、昨年、現在の場所に移転した。

 常設展ではラジオ放送開始から現在までを時代ごとに割って展示しているが、今回の企画展は敗戦直後から約5年間に絞った。対象時期への岡部さんの思いは特別で「私のコレクションの中心で300~400台ある」という。

 「物がない時代なので、みすぼらしさにあふれる。ただ、物価は上がり続け、給料は追いつかない時代を頑張って生きた人をリスペクトしたい」と背景にある世相に思いをはせる。

時代の変化に乗って

 連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治下にあったこの時代、ラジオはNHKしか放送が認められておらず、戦前から使われた方式の受信機で用をなした。このため町工場のような会社から大会社までが次々と受信機製造に新規参入した。

 展示機の中には乗用車の製造を禁止されたトヨタ自動車工業(現トヨタ)の製品もある。米国製をまねたとみられる受信機もあり、現在のコピー大国を笑えないほど。それだけ需要があったといえる。