日曜に書く

論説委員・森田景史 古賀の赤帯、吉田の黒帯

2019年9月、世界選手権で優勝した女子柔道素根輝選手の報告会であいさつする古賀稔彦さん=岡山市
2019年9月、世界選手権で優勝した女子柔道素根輝選手の報告会であいさつする古賀稔彦さん=岡山市

「古賀稔彦」の名が刺繍(ししゅう)された赤帯は、葬場の一角に飾られていた。53歳の若さで逝った柔道家に、総本山の講道館から「九段昇段」の知らせとともに贈られたものだった。

講道館が公にしている昇段規定では、最高段位は八段とされている。それより上は、「柔道の普及振興に多大なる貢献をした」あるいは「競技で顕著な戦績を収めた」と認められた者にのみ、贈られると聞く。そのほとんどが、生前の事績を認められての追贈(昇段日は亡くなる前日)だという。

「三四郎」の旅立ち

1992(平成4)年バルセロナ五輪の男子71キロ級金メダリストにして、「平成の三四郎」とうたわれた古賀の告別式は、3月29日に営まれた。

栄誉の赤帯を故人がどう受け止めたかは知る由もない。青畳の上、牛若丸の機敏と弁慶の怪力をほしいままにした鬼才にとって、恐らくは、黒帯こそが戦う男の正装だったろう。なきがらは白の柔道着にくるまれ、黒帯を締めていたという。古賀は「三四郎」として旅立った。

「帯には、いろいろ思い出がある。柔道家の魂だからな」

訃報に接して、筆者が連絡を取った折、恩師の吉村和郎はこう語った。いまはない柔道私塾「講道学舎」の、吉村は師範だった。門下で学んだ中学、高校時代の古賀を鍛え、その才能を開かせた人でもある。

中学3年の古賀を連れ、吉村は警視庁第3機動隊の道場をよく訪ねた。学舎ではまだ白帯の少年に、出稽古では黒帯を締めさせ、稽古相手には「こいつは高校1年。黒帯だ」と嘘を伝えた。

柔道家の魂が宿る場所

乱取りが始まると、古賀はひねるように大人たちを投げ捨てた。高々と担ぎ上げ、真下に投げ落とす一本背負い。少年の異能は誰の目にも明らかだったが、治安の担い手が白帯に負けては立つ瀬がない。「俺の嘘に救われた警察官は多かった」とは、吉村の回想である。

同じ学舎には、バルセロナ五輪で古賀とともに金メダルを取る吉田秀彦もいた。早くから自立した古賀に対し、2学年下の吉田は「手が焼ける選手だった」(吉村)。

五輪の2カ月ほど前、吉村の制止も聞かず実業団の大会に出た吉田は、左足首を痛めた。患部を診た医師は「捻挫です」とあっさり告げたが、現地入りしてからも調子は上がらない。