【歴史の交差点】武蔵野大特任教授・山内昌之 政治家の4つの類型(1/2ページ) - 産経ニュース

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歴史の交差点

武蔵野大特任教授・山内昌之 政治家の4つの類型

東京都千代田区の国会議事堂(本社チャーターヘリから、川口良介撮影)
東京都千代田区の国会議事堂(本社チャーターヘリから、川口良介撮影)

 どの世界の歴史でも中庸を賛美しない人はいない。正しい行為であっても極端に走るのは、政治だけでなく日常生活でも鬱陶(うっとう)しいものだ。

 確かに、「必要以上に賢くなるなかれ。ほどよく賢くなれ」というモンテーニュの好きな言葉は、日本人の耳にも心地よく響く(『エセー』30章)。しかし、穏やかで中庸を弁(わきま)えた人びとを世の中に求める難しさは、すでに孔子も『論語』(金谷治訳注)で指摘していた。

 この「中行(ちゅうこう)」、つまり中庸の人を見つけられない場合はどうなるか。ここで孔子は、せめて「狂者(きょうしゃ)」か「狷者(けんしゃ)」に頼れというのである。

 「狂者は進みて取り、狷者は為(な)さざる所あり」。現代人が字面(じづら)から連想する意味とは違い、この場合の「狂」とは積極進取くらい、「狷」は慎重でひきこみがちの意味ではないか。そこで、この文章の意味は、「狂」の人は大志を抱きながら進んで求めるし、「狷」の人は節義を守って出過ぎた振る舞いをしないというのだろう。

 孟子の解釈によれば、政治の指導者になるほどの人物は、(1)中行つまり理想の存在として中庸を保つ人物、(2)「狂者」すなわち元気がよく志も言語表現も大きな人物、(3)「狷者」という、不義の行為を恥じて実行しない潔癖な人物。この順番に位置づけが低くなるようだ。

 しかし実は、この下に(4)として郷原(きょうげん)がある。郷原とは、郷(村)の君子であるが、汚れた世の中と調子を合わせ、いかにも廉潔な人間らしく振る舞う。そこで世間の人たちもみな好意をもち、自分もそれで良いと信じる人びとのことだ。

 孔子は郷原を正しい徳を損なう偽善者だと手厳しく批判した。つまり、自分の本心を隠して誰からも評判が良くなるように世間を欺くからである。

 この4つの類型は、江戸時代でもしばしば人間評価の基準として用いられた。水戸学の大家、藤田東湖や長州の尊王攘夷論者、吉田松陰は、一見とくに似ている中行と郷原との違いに注意を促した。