文芸時評

4月号 構造に沿うか、裏切るか 早稲田大学教授・石原千秋

第7回林芙美子文学賞が朝比奈秋「塩の道」(小説トリッパー)に決まった。「博多のお看取り病院で働き、人の死に麻痺していた医師が、青森の村の診療所に転勤するというストーリー」(角田光代の選評)である。最後は、村長の大岡がこの村にもお看取り病院を作り、医師の伸夫をその院長に据えようとするらしいと気づくところで終わる。自堕落になった伸夫の視点からなされる叙述は冷徹で、「コトー診療所」的な話型を裏切るその冷徹さが、話型への挑戦と評価されたようだ。一方、伸夫の内面が書かれていないことへの不満もあったと言う。

冒頭近くに「今まで散々人が死ぬのを目の前でみてきた」とありながら、村人の死は「亡くなった」と語られ続けるところに違和感を持って、そして必ず「死んだ」という言葉が出て来ると信じて読み進めた。やはり。「昼夜を問わず働いているうちに、いつからか人間が死んでも何も思わなくなった。自分のこともそうだった。もういつ死んでもかまわないと思ったものの、人の何倍も働いたはずがまだ四十の半ばしか過ぎておらず、途方に暮れた」と。伸夫に関することは「死ぬ」が使われるのだ。大岡の目論見(もくろみ)に気づく場面では、伸夫の推測が「そうに違いね」とか「あいづらだっで」という村の言葉で語られる。伸夫は「来年は父が亡くなった齢(よわい)だと死にとり憑(つ)かれていた」。そう、伸夫は村人のように無残に死ぬことを望んでいるのだ。その伸夫の思いは、冷徹な叙述によって全編に溢(あふ)れているではないか。その意味でもこれは大変な秀作である。

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