文芸時評

4月号 構造に沿うか、裏切るか 早稲田大学教授・石原千秋

『日本説話小事典』(大修館書店)に誘われていくつかの項目を書いたことがある。「異類婚姻譚(たん)」とか「動物報恩譚」といった説話の話型に近代文学も当てはめてみる少し無理のある企画だった。吉本ばなな『キッチン』なら「継子譚」、芥川龍之介『羅生門』なら「変身譚」か「変転譚」という具合に。前田愛は、近代文学は「立身出世型」と「反立身出世型」の2つの「類型」(話型)に分けられると言う(『文学テクスト入門』筑摩書房)。どちらにも構造主義的な発想が背景にあって、『小事典』は古典から近代文学までいくつかの構造=話型に還元しようとしたのだろう。「立身出世型」と「反立身出世型」は、スケールを変えれば「成長型」と「堕落型」になる。

芥川賞受賞作、宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)が選評で「定型的」(奥泉光)、「寄る辺なき実存の依存先という主題は、今更と言っていいほど新味がなく」(平野啓一郎)、「目新しさを感じないまま読み終えてしまった」(吉田修一)といった評価がなされるのは、成長型という話型にピッタリ収まるからだろう。それをどういう成長と読むかは人によって違ってくる。体の不調もあって、最も親しい他者である母親からの承認を得られずにアイドル(推し)への思いに依存して生きてきた少女が、アイドルを失ったと悟ったその時、はじめて自己承認によって生きる覚悟を決める物語と読むのが一般的だと思うが、つまりは成長物語である。

小谷野敦と倉本さおりの対談「芥川賞について話をしよう」(『週刊読書人』3月19日)では、推しがいなければ生きていけない人の気持ちを認めてほしいが、人は推しがなくとも生きていかなければならないという2つのテーマが書かれている。しかも、「明仁」とか「八月十五日」といった単語が書き込まれているところから、長瀬海が言うように「天皇小説」とも読めると言う。「推し」は「天皇」でもあり得るというのだ。さすがに読み巧者の2人だと感心した。推しなしで生きていけるまで成長したが、推しなしではそこまで成長できなかったと読めば、みごとに成長型に収まる。この話型をどのように書いたかを評価しなければ、そもそも評価したことにならない。

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