古典個展

主体性なき「夫婦別姓論」 大阪大名誉教授・加地伸行

加地伸行 大阪大名誉教授
加地伸行 大阪大名誉教授

不要不急の外出自粛となってからは、テレビ漬けの生活。

ということで、国会中継をずっと見ていた。すると昔の教師癖(ぐせ)が出て、その発言に点数をつけておったわな。例えば、3日の参院予算委員会でのこと。質問者は福島瑞穂(みずほ)・社民党党首。この人、弁護士とのことであるが、質問において何度も「夫婦別姓」という言葉を発した。

ま、これ不適切。姓と氏とを混同している。わが国の民法750条に「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とあるから「夫婦同氏」。福島某は、これを変えよ、と主張しているようだが、「姓」はそんな簡単には変えられない。

大筋から言えば、「姓」は血縁系統を表し、「氏」は後から付け加わる諸理由に依(よ)るものだからである。例えば、加地「姓」は、佐々木「氏」(盛綱・高綱)の流れの中にある、というふうに。

東北アジアでは、夫婦別姓を堅(かた)く守ってきた。ところが日本では、明治維新後、幕末に外国と結んだ条約の不平等改正を進める際、相手は近代的諸法律の整備を要求した。そこで刑法をはじめ諸法律を整備してゆくが、民法親族編の婚姻後の姓氏について悩んだ。大議論の末、姓でなくて氏を名乗ることにしたのである。それは欧米社会のファミリーネームの真似(まね)、すなわち夫婦同氏であった。

当時の諸議論は多様で、なかなか面白い。例えば、江戸時代、表向きは(実際とは別に)庶民は姓を公称できなかったので、自然と夫婦同氏となっていた、とある。あるいは、合理主義の福沢諭吉は、夫婦それぞれの姓から1文字ずつ取って新氏を作ればよいと論じた。例えば加地姓と池田姓との場合、「加池・加田・池加・池地」の内のどれか1つに決めて、婚姻後はその氏を使えと。簡単に変更できない姓に対し、氏は諸理由に基づけば作れたのである。

日本のこの方法ではなくて、中国では、婚姻後、女性は夫の姓を加えるという方法を取った。例えば、香港の行政長官、林鄭月娥(りんてい・げつが)氏の場合、林は夫君の姓、鄭は女史の姓であろう。すなわち林はファミリーネームの意識である。もっとも、夫の姓を加えるこの方式、中国人には不人気で広がっていない。

というふうに、姓氏の問題はそう簡単に結論を出せないのに単純に<夫婦別姓>を主張する人がいる。

しかし、その動機には、歴史性も主体性も乏しい。明治の条約改正のための民法立案には国運という大目的があっての<夫婦同氏>であったが、近ごろの<夫婦別姓論>は、欧米での同運動論の流行に乗っているに過ぎず、主体性など見られない。

伝統的な夫婦別姓には血統という生物的秩序を守る原理が存在するが、今の夫婦別姓主張派にはそういう思想性はなく、権利、権利と相変わらずの欧米尊重流の猿真似運動に過ぎない。

『論語』陽貨に曰(いわ)く、直(ちょく)(思いつき)を好みて学(がく)を好まざれば、その蔽(へい)(愚かさ)や絞(こう)(自分の首を絞める)なり、と。(かじ のぶゆき)

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