モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

自らの首絞める昨今の言葉狩り

 (1)メルケル(独首相)140 (2)小池百合子(東京都知事)54 (3)サッチャー(元英首相)29 (4)アーダン(ニュージーランド首相)24 (5)蔡英文(台湾総統)18 (6)野田聖子(自民党幹事長代行)15 (7)蓮舫(立憲民主党代表代行)14 (8)アウン・サン・スー・チー(ミャンマー)13 (9)橋本聖子(東京五輪・パラリンピック組織委員会会長)10 (10)土井たか子(元衆院議長)8、田中真紀子(元外相)8、クリントン(元米国務長官)8

 毎日新聞と社会調査研究センターが13日に携帯電話を使って実施した全国世論調査(回答者731人)の、ある項目の結果だ。名前の下の数字は挙げた回答者の人数である。

 さて、その質問とは「最も評価している女性の政治家は」。国内外から一人だけ挙げてもらったという。コロナ禍での調査でもあり、その対応で強いリーダーシップを発揮したメルケル、蔡英文、アーダンや、渦中でのマウントの取り方が天才的だった小池百合子が上位に並んだ。そこに食い込んだのが、新自由主義的な経済改革と大胆な教育改革で深刻な英国病を克服し、さらには国家の威信をかけて戦争をも辞さなかったサッチャーだ。

 このリストの中で歴史に名を残すのはサッチャーだけだ。あとその可能性を秘めているのは中国共産党に毅然と対峙する蔡英文ぐらい。ノーベル平和賞を受賞しながら、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャの虐殺を黙殺したアウン・サン・スー・チーは、2月に起きた国軍のクーデターによって拘束され注目されたのだろう。クーデターがなければランクインしたか疑問である。

 あとはメディアへの露出が多いだけで、これまでのところ実績と呼べるものがほとんどない方々、そして熱烈な憲法9条の信者、毒舌お嬢様の信者が挙げたと思われる過去の2人。土井が残したのは「山が動いた」「ダメなものはダメ」という言葉ぐらい。田中が残したのは「凡人・軍人・変人」といった語録(こうしたセンスには才気が感じられ、毒舌コラムニストになれば大活躍できたと思う)と、日本に不法入国し身柄拘束された北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)をすぐに送還してしまったことぐらいだ。この方々が何をもって最も評価されたのか、凡人の私にはさっぱり分からない。要は知っている名前を挙げただけなのだろう。

 このリストを見た政治学者の岩田温さんはユーチューブの番組で、「辻元清美さんと福島瑞穂さんが気の毒だ」とジョークを飛ばしていた。「あの人が入っているのに、どうして自分が入っていないのか」と思うのではないかと。

 毎日新聞の意図は定かでないが、この調査結果からうかがえるのは、日本国民はそもそも老若男女を問わず日本の女性政治家に本気で期待などしていないのではないか、ということだ。ならばお前はどうなんだ、と問われたらこう答える。名誉男性のような女性政治家はいらない。男性が持たない勁(つよ)さとしなやかさをそなえた女性政治家には大いに期待していると。

 ここからは余談である。「最も評価している女性の政治家は」という質問に私は妙に引っかかっている。「評価している」という上から目線の言葉が気持ち悪いのだ。私ならこの質問には答えない。「最も頼りになる」とか「瞠(どう)目(もく)(どうもく)に値する」ならば喜んで答えるだろう。まるで自分が「言葉警察」になったようで恥ずかしくなるが、言葉の感覚は譲れないし、譲る気もない。ただ、これはあくまで批判であって否定ではないということを理解していただきたい。

   (ここまで敬称略)

やせ細る思考

 毎日新聞の調査でメルケル独首相が1位になったのは、コロナ禍の中、国民に向かってこぶしを振り上げ、目に涙を浮かべながら感染拡大防止への協力を訴える姿を多くの日本人が目にしたからだろう。その姿から「国母」という言葉を連想した。

 「それに比べて」と、菅義偉首相に対する風当たりが強い。答弁では原稿に目を落として読むことが多く滑舌も悪い。失言によって揚げ足を取られまいとする慎重さばかりが先立つ。インターネット番組に出演したさい、「こんにちは、ガースーです」と挨拶して、大顰蹙を買ったこともトラウマになっているのだろう。

 手元に昭和亡霊委員会編『そろそろ使うのをやめにしたい現代語辞典』(新函館ライブラリ)という本がある。昭和亡霊委員会とは昭和34年生まれの初老男性の集まりだという。

 《身の丈に合った自分の言葉で、気兼ねなく思ったままを話したい。そういう願いを切にもつ昭和人間の戯言です。本当に言いたいことは、冗談でしか言えません。冗談にめくじらや青筋を立てるのは野暮の極み、全編笑い飛ばしていただければ幸いです》と刊行の意図を説明し、次のように締める。

 《失言や危ない冗談より恐ろしいものは、したり顔で取り締まろうとするその心、なのでしょう》

 同感だ。菅首相の慎重すぎて魂に響かない言葉を批判するのはかまわないが、同時に国民やメディアは自分の心のなかの「言葉警察」を上手に飼い慣らすことが必要だろう。言語空間はできるかぎりゆるく自由にしておくべきだ。そうしないと、使い手は窒息し、国語そのものが痩せてゆく。国語が痩せれば思考も痩せてゆく。全体主義社会を描いたジョージ・オーウェルの『1984年』の世界はそこまで迫っている。自分の手で自分の首を絞めるまねはもうやめたいものだ。

 コロナ禍も加わったこの閉塞状況から抜け出すにはまずは、政治家や官僚が失言を恐れず、自由に言葉を使える言論の府を実現することだろう。そんなことすらできない国が国民の自由を守れるとも、再び繁栄の階段を上れるとも思えない。最後にモンテーニュの言葉を紹介しよう。

 《言葉こそ我々の意志や思想が相互に通いあうための唯一の道具であり、我々の霊魂の代弁者である。これを失っては我々はもう手をつなぐことも知り合うこともできない》(第2巻第18章「嘘について」)

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。(文化部 桑原聡)

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