「退団しよう。その時がやってきた」宝塚、轟悠が会見

轟が宝塚を知ったのは中学3年生のころ。テレビで見た男役に、当初は「外国人の男性がきれいな日本語でお芝居をしている」と思ったという。以来、宝塚に夢中になった轟は「タカラジェンヌになりたい」と両親を説得した。もちろんバレエもできなければ、声楽の練習もしたことがない。

「というより、音楽学校があることさえも知らなかったんです。願書の中に試験曲の譜面があって、音楽の先生に『どんな曲ですか?』とピアノで弾いてもらって練習しました」

昭和58年3月、轟は宝塚音楽学校を受験。他の子たちとのレベルの違いに圧倒された。だから合格発表の日も、熊本へ帰る荷物を飛行場へ向かうタクシーの中に置いて見に行った。

「わたしにおめでとうと一番に言ってくれたのは、阪急タクシーの運転手さん。今でも忘れられない思い出です」という。

それから38年-。轟は雪組のトップスターとなり、専科へ移ってからも夢の世界の頂点で輝き続けた。

「入団したとき、舞台は宝塚の男役だけ-と決めていたので、他の舞台に立つことも、女優になることも、いまは考えていません。暑いときも寒いときも劇場に足を運んで応援してくださったお客さまに感謝しています。長い間、本当にありがとうございました」

涙はなし。轟は最高の笑顔で締めくくった。

とどろき・ゆう 8月11日生まれ、熊本県人吉市出身。昭和58年、宝塚音楽学校に合格。60年入団(71期生)、月組配属。63年雪組へ組替え。平成9年7月、雪組トップスターに就任。14年2月専科へ異動。15年理事に就任。昨年7月、理事を退任し特別顧問に。『凱旋門(がいせんもん)』のラヴィック役や『風と共に去りぬ』のレット・バトラー役など数々の男役を演じた。

今後の公演予定

星組公演『婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)』(作、演出・植田紳爾)  7月9~15日、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ▽東京公演は7月21~29日、東京芸術劇場プレイハウス

轟悠ディナーショー 8月23、24日、ホテル阪急インターナショナル▽9月21、22日、パレスホテル東京

会員限定記事会員サービス詳細