「退団しよう。その時がやってきた」宝塚、轟悠が会見

「退団しよう。その時がやってきた」宝塚、轟悠が会見
「退団しよう。その時がやってきた」宝塚、轟悠が会見
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宝塚を代表する「男役」として30年以上、歌劇団を牽引(けんいん)してきた特別顧問、専科の轟悠(とどろき・ゆう)が10月1日付で退団する。「ストンと心の中に落ちるような感じで、その時がやってきたことに気付いた」という。別れの演出もサヨナラショーも断った轟は「静かに受験し入団してきた私だから、静かに退団したい」と胸の内を語った。

(田所龍一)

何がきっかけで「退団」を決心したのか-と尋ねられた轟は、困ったような顔でこう答えた。

「本当に理由付けするものがないんです。退団しよう。その時がやってきた-とある日、アッと気がついたんです」

それは昨年9月末から10月にかけてのことだったという。その時、轟の心は大きく揺れ動いていた。

7月に故郷・熊本を豪雨が襲った。子供の頃よく遊んだ球磨川が氾濫し、テレビで見たニュース映像に、濁流に流されていく自宅のようすが映し出された。エッと指さして息をのんだ。実家の母に電話した。だが、すぐにはつながらなかった。

その後、11月初めに轟はこんな話をした。

「みんな無事で仮設住宅に暮らしています。わたしもすぐに飛んで帰りたかった。でも、それは無理でした。終息なんてまだまだ。家が流されなかった人も床板をはがし、土台の上に板をはって今でも生活しているんです。コロナがなければ、わたしもボランティアで…」

両親のそばに一番いてあげなければいけないときに、何もできなかったもどかしさ。この時、すでに轟は「退団」を決意し、劇団に伝えていたのである。

卒業する人を送る大階段も劇中のお別れ演出もサヨナラショーもなし。轟が断ったという。

「雪組のトップから専科へ異動したとき、そう心に決めていたんです。今回の作品の植田紳爾先生にもいつものようにとわがままをきいてもらいました。静かに受験し、入団し、静かに退団していく。それが一番私らしい」

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