朝晴れエッセー

溢れる涙・3月16日

東日本大震災後の5月初旬、東北のとある港町に復興応援のため、部下数人とともに赴いた。

港を望む峠を越えた瞬間絶句した。

テレビ放映の津波のすさまじさには圧倒されたものの、それは画面の大きさでしかなかった。実際の光景は言語に尽くしがたい凄愴(せいそう)なものであった。廃虚と化した文明とも見まがうほどだった。

私たちの任務は被災者の行政相談対応や海岸線の巡回だった。昼はただ、瓦礫(がれき)の山の一帯であったが、夜ともなると漆黒の闇の中、一点の灯りも道もない。

所々瓦礫の山に注意しながらの活動は、車のライトさえのみ込んでしまうようで不気味な世界に迷い込んでしまったような感じさえした。

昼の巡回中、防波堤に立っている私と同年代くらいの男性が目に留まり、注意を促すため声を掛けた。

聞けば、両親と妻子が亡くなり、ひとり生き残ったという。

「俺みたいな者(もん)は、うんといっちゃ」。その計り知れない深い悲しみは誰も受け止めようがない。惻隠(そくいん)の情を抱きつつも返す言葉が見つからなかった。

別れ際にやっと、「健康にはくれぐれも気を付けてくださいね」と伝えると、男性は肩を震わせ、嗚咽(おえつ)をあげて号泣し、溢(あふ)れる涙を拭おうともしなかった。私は何か残酷な宣言をしたような悔恨(かいこん)の念に包まれこの場を後にした。

あれから10年、深い傷は癒えることはないであろうが、あの男性が前向きに活(い)きていることを願ってやまない。

阿部雅俊 64 前橋市