日曜に書く

論説委員・別府育郎 大震災10年と東京五輪

東京五輪のメイン会場となる新国立競技場 五輪マーク(三尾郁恵撮影)
東京五輪のメイン会場となる新国立競技場 五輪マーク(三尾郁恵撮影)

「スリーピークス」

JR大船渡駅はあの日、高さ10メートルの津波に襲われ壊滅した。大船渡線は気仙沼-盛間で廃線となり、現在は高速バスが運行している。無人の停留所となった大船渡駅周辺は再開発され、ここにワイナリー「スリーピークス」がある。大船渡のぶどう、陸前高田のりんごを原料にワイン、シードルを製造、販売している瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいは、大震災10年の新たな景色だ。

代表の及川武宏は大船渡で生まれ育ち、大船渡高校サッカー部ではFWとして平成9年の全国高校選手権で16強入りした。中盤には鹿島や日本代表で活躍する同期の小笠原満男がいた。

10年前は東京のサラリーマンだった。あの日、西新宿の高層階のオフィスは激しく揺れ、階段で下りた1階のテレビで東北太平洋岸を浸食する津波の映像をみた。車で故郷に向かい、そこで目にしたのは、一面の瓦礫(がれき)と生気を失った顔、顔、顔だった。実家は難を逃れたが、家族や家を流された人に、どう接していいか分からなかった。

救援物資を避難所に運ぶ日々を送り、やがて会社を辞めて東日本大震災復興支援財団の職員となった。被災地に内外の五輪選手らを招いて子供のスポーツ支援を行う事業を担当した。

震災前から夢があった。20代のころにホームステイで働いたニュージーランドのワイナリーでみた観光客の笑顔を、いつか三陸で再現したい。夢を、震災が現実に変えた。「震災がなければ、大船渡には帰っていなかったかもしれない」

家族で大船渡に移り住み、農地を借りてぶどうを植えた。陸前高田では高齢者が手放すりんご園を譲り受けた。醸造を学び自前のワイナリーを完成させ、令和元年には地元産の果実による最初のワインを発売した。新型コロナ禍ではいち早く「リモート飲み」を推奨してテレビで紹介され、個人向けの販路を広げた。夢の実現に向けては、まだ緒についたばかりだ。

「スポーツの力」

及川に聞いた。10年で変わらないもの、変わったものは-

「人間かな。大人はなかなか変われない。でも当時、小中学生だった子供たちは人との関わりを経て確実に変わっている」

財団を辞めた後もスポーツの支援事業に関わり続け、多くのアスリートと知り合った。パラリンピアンの谷(旧姓・佐藤)真海もその一人だ。