【双葉町の姉弟の10年 東日本大震災】宿命かも…古里再生支えたい 地元に戻り家業継いだ山本敦子さん(49)吉田知成さん(45)(1/2ページ) - 産経ニュース

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双葉町の姉弟の10年 東日本大震災

宿命かも…古里再生支えたい 地元に戻り家業継いだ山本敦子さん(49)吉田知成さん(45)

【双葉町の姉弟の10年 東日本大震災】宿命かも…古里再生支えたい 地元に戻り家業継いだ山本敦子さん(49)吉田知成さん(45)
【双葉町の姉弟の10年 東日本大震災】宿命かも…古里再生支えたい 地元に戻り家業継いだ山本敦子さん(49)吉田知成さん(45)
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平成23年3月、東日本大震災による津波の影響で大事故を起こした東京電力福島第1原発が立地し、今も住民避難が続く福島県双葉町。町の老舗商店「伊達屋」も原発事故で休業を余儀なくされたが、姉弟が地元に戻り事業を再開した。社長の吉田知成さん(45)は、復興作業の重機やトラックを支えるガソリンスタンドで奮闘、姉の山本敦子さん(49)はファストフード店を仕切る。

伊達屋の創業は明治時代までさかのぼる。震災前はJR常磐線双葉駅前の住宅兼店舗で、ガス器具やたばこなどを扱っていた。その一角でファストフード店を営んだ時期もあり、近くの国道6号沿いにはガソリンスタンドを出していた。

吉田さんは地元の高校卒業後、大学進学で横浜へ。東日本大震災発生時は東京で会社員をしていた。実家に住んでいたのは、当時の伊達屋社長で吉田さんの父、俊秀さん(73)と母、岑子(たかこ)さん(76)、3年前に避難先で95歳で亡くなった祖母、フミさんの3人。敦子さんは結婚して双葉町で暮らしていた。

全員無事だったが原発事故後は県外へ避難した。実家の3人は埼玉県加須(かぞ)市に、敦子さん一家は吉田さんを頼り横浜市に移って避難生活を続けた。吉田さんは原発事故前に考えていたUターンを断念、震災翌年に東京へ転居した。実家は双葉町の再整備区画となり、一昨年取り壊された。

吉田さんが古里に帰るきっかけは、27年初めに復興関係で働く友人から受けた「燃料が足らない。ガソリンスタンドを再開できないか」との相談だった。双葉町では復興作業が本格化しても給油環境が整っていなかった。

家業を継ぐのを一度は諦めた吉田さんだったが「地元で頑張る友人の頼み。知らんぷりはできない」と高齢の父に代わり再開を決意。「震災前のように商売が成り立つのか、半年以上悩んだ末の判断」だった。吉田さんは敦子さんの夫で義兄の山本健司さん(54)と再出発の準備を進め29年6月、ガソリンスタンドを再開した。