「たまには帰っておいで」 自宅へ飛んだハト風船 宮城・閖上

名取市の閖上地区で371個の鳩型の風船が空に放たれた=11日午後、宮城県名取市(川口良介撮影)
名取市の閖上地区で371個の鳩型の風船が空に放たれた=11日午後、宮城県名取市(川口良介撮影)

 東日本大震災の津波で700人以上が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区では11日、旧閖上中学校の生徒の遺族らが震災後に毎年開催している「追悼のつどい」が、伝承施設「閖上の記憶」の前で行われた。450人の参加者は晴天の下、それぞれのメッセージを託した「ハト風船」を空に向かって放った。

 「(震災を)語り継いでいきましょう。次の津波では人々が命を落とさないように」

 午後2時半、閖上の記憶の館長を務める小斎正義さん(79)のあいさつでつどいは始まった。長男の公太さん=当時(13)=を亡くした丹野祐子さん(52)。震災から10年を迎えても「気持ちの変化はありません。これからも震災とともに生きていく」と力を込めた。

 震災後、交流を深めてきたのが、昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故で次男の健君=当時(9)=を亡くし、遺族でつくる「8・12連絡会」の事務局長を務める美谷島邦子さん(73)だ。美谷島さんはこの日、閖上に駆け付け、「悲しみは一人一人違う。立ち止まってもいい。ただ、この10年は、立ち止まっている人に『一緒に前に進もうよ』といえるようになった期間だと思う」と語った。

 震災発生の午後2時46分。丹野さんの「黙祷(もくとう)」の声とともに、サイレンが鳴り響いた。その後、参加者が371個のハト風船を一斉に飛ばした。昨年は海の方に向かって飛んでいったハト風船だが、今年の風はハト風船を町の方向へと運んでいった。それは、丹野さんの自宅があった町の方角を指していた。

 「たまには帰っておいで」。丹野さんが書いたメッセージを乗せたハト風船も、空高く飛んでいった。(塔野岡剛)