震災を乗り越え、W杯から新リーグへ 釜石ラグビーの10年 (1/3ページ) - 産経ニュース

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震災を乗り越え、W杯から新リーグへ 釜石ラグビーの10年 

震災を乗り越え、W杯から新リーグへ 釜石ラグビーの10年 
震災を乗り越え、W杯から新リーグへ 釜石ラグビーの10年 
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 東日本大震災で死者・行方不明者が1000人を超える被害を受けた岩手県釜石市。復興への道筋の中で、大きな役割を果たしてきたのが、新日鉄釜石ラグビー部の後継クラブチーム、釜石シーウェイブス(SW)だ。震災直後はボランティア活動に奔走し、2019年ワールドカップ(W杯)日本大会の試合誘致もチーム関係者の提案がきっかけだった。次はいよいよSWが主役になるとき。盛り上がった地域のラグビー熱をさらに高めるため、来季から始まる新リーグでの奮闘が期待される。(運動部 橋本謙太郎)

 いまから10年前。がれきがあふれ、津波の傷痕が生々しく残る中、釜石SWはチーム活動を自粛。選手有志が支援物資の運搬、高齢者の移動の手伝いなどのボランティア活動を続けた。「力仕事でけっこう頼りにされたところはあった」と関係者は振り返る。

 チームが全体練習を再開したのは、震災発生からわずか2カ月後の2011年5月上旬のこと。「君たちはラグビーで元気づけてほしい」。地元からそんな声が上がり、「ラグビーを通じて元気や希望を与えるのが一番の使命」(当時ゼネラルマネジャー(GM)だった高橋善幸シニアアドバイザー)と考えた。

 日本選手権7連覇を果たした新日鉄釜石ラグビー部の流れをくむ釜石SWの存在感は格別だ。1980年代前半、日本選手権決勝の舞台だった1月の国立競技場で躍動する北の鉄人の姿は郷土の誇りであり、被災下にあっても釜石SWを心のよりどころにする人たちがいた。

 W杯日本大会の試合開催都市への立候補も、高橋氏の発案がきっかけだった。

 「釜石でW杯の試合をすることはできないでしょうか」。新日鉄釜石ラグビー部OBで支援組織「スクラム釜石」の石山次郎代表らに提案した。まだ震災発生から3カ月しかたっておらず、「多くの人が仮設住宅に住んでいる状況で、そんなことを言っていいのかとの思いもあった」と葛藤もあったという。ただ、「それでも夢が必要だと思った」と高橋氏は回想する。