東日本大震災 私の10年史

「いのちとは」伝えるため 中学教員からフォトライターに

【東日本大震災 私の10年史】「いのちとは」伝えるため 中学教員からフォトライターに
【東日本大震災 私の10年史】「いのちとは」伝えるため 中学教員からフォトライターに
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「生きる」とはどういうことか-。東日本大震災で最愛の人を失った遺族との出会いを通し、大阪府寝屋川市のフォトライター、角円(かどまどか)さん(37)はその問いと向き合うようになった。10年前は同市の中学校教員。今、中学の道徳の教科書に、角さんが取材した妻子ら家族4人をなくした自衛官のことが掲載され、全国の学校で活用されている。授業に招かれて話をする機会も増え、「いのちについて子供たちが考えるきっかけになれば」と願う。あの日から10年となる11日も、同市の中学校で生徒たちに語りかけた。

(木ノ下めぐみ)

遺族を取材、教科書に

初めて被災地を訪れたのは、8年間の教員生活に終止符を打ってまもなくの平成27年5月。悔恨を胸に抱いていた。「10年前はニュースを見聞きしているだけで、何もできなかったという申し訳なさがずっとあった」。被災した人たちの生の声を聞き、多くの人に伝えたいと考え、フォトライターの道を踏み出した。

遺族をたずね歩き、話に耳を傾けた。9遺族への取材をまとめた本を「ハナミズキ」の題で自費出版。その中に、道徳の教科書にも載った自衛官の佐々木清和さん(54)がいる。出会いは27年7月。人前で話すのが決して得意ではない佐々木さんが、語り部活動を始めた頃だった。

震災時、佐々木さんは宮城県名取市で、妻のりつ子さん、一人娘の中学2年の和海(かずみ)さん、義父母と5人で暮らしていた。きっと逃げていると思っていた家族との再会は遺体安置所だった。

最初の頃、ぶっきらぼうで言葉少なに語る佐々木さんの姿は、角さんの目には心を閉ざしているように映った。気まずい空気も、長い沈黙もあった。角さんの言葉に、佐々木さんが強く反発したこともある。「言葉は人を癒やしもするけど、傷つけもする。もうやめた方がいいのかと葛藤があった」と角さん。だが取材を重ねるうちに佐々木さんの本音がもれることもあり、「少し受け入れてもらえたのかと思った」。