朝晴れエッセー

守られた命を大切に・3月10日

毎年3月になると思い出される光景がある。それは昭和20年3月10日、米軍爆撃機B29から投下された焼夷弾(しょういだん)により東京下町一帯が焼き尽くされた東京大空襲である。

当時私たち一家は深川に住んでいた。戦禍が厳しくなってきたので、祖父と父は家を守るために東京に残り、祖母と妊娠中の母と私は祖母の実家のある埼玉に疎開していた。

空襲の1日前の3月9日に祖母と私は食糧などを持って東京の家に来ていて、東京大空襲に遭遇したのである。

焼夷弾が投下され一面火の海となったなか、2歳半だった私は祖父に背負われ近くの小学校に避難した。校舎に焼夷弾が投下され、中にいた人たちはほとんど亡くなられたが、私たちは校庭の隅の東屋で奇跡的に一命を取り留めたのだ。

背負われた子たちも背中に火が付き多く亡くなったなかで、傷一つ負わさず私の命を守ってくれた祖父には深い感謝の念でいっぱいである。

当時2歳半の私に記憶がはっきり残っているわけではないが、戦後祖父母から聞いたそのときの情景と、後にテレビなどで見た映像を通しはっきりと私の脳裏に刻まれているのである。

あのとき祖父が命を守ってくれたので、夫とも巡り合い、子供や孫たちにも恵まれて幸せな人生を送ることができているのである。

昨年来のコロナで今は不自由な生活を余儀なくされているが、この守られた命を大切に、これからも豊かで幸せな人生を夫や子供たちとともに歩んでいきたいと願っている。

秋田佳子(78) 東京都世田谷区