命守ったビル 記憶をつなぐ 東日本大震災10年

■両親と弟を亡くした岩手県陸前高田市の米沢祐一さん、娘の多恵さん

むき出しの土と灰色のビル、高台へと向かう階段。影踏みのように親子が歩く。東日本大震災の記憶は、しっかりとつないだ手で、ぬくもりとともに、受け継がれる。

ここはかつて、岩手県陸前高田市の中心街だった。いまは「米沢商会」のビル以外、何もない。

平成23(2011)年3月11日。巨大な津波は家も人も、のみこんだ。

「これは死ぬな」

3階建てのビルの屋上。1メートル四方ほどの煙突に米沢祐一さんはしがみついた。地面から14メートルほどの高さがあるはずなのに、足元まで真っ黒な水が迫ってきた。

黒い波は何度も押し寄せた。両親と弟が避難した市民会館の屋根は、水につかって見えなかった。

「みんな死んじゃった」

どれくらいの時間がたっただろう。頬に降りかかる雪を感じた。踏ん張っていた下半身は水につかって濡(ぬ)れていた。震えとしびれ。感覚は失われていった。

「こんなところでは死ねない」

水が引いた頃合いを見計らって煙突から降り、流されてきたポリ袋をかぶった。なんとか生きなければ。津波の恐怖と寒さにおびえながら、一睡もせず夜を明かした。

空が白んできた。目をこらすと、街はがれきに埋もれていた。津波が何もかも、さらっていった。

遠く、ヘリコプターの音が聞こえた。必死に手を振った。屋上にたまった泥に「SOS」と書いた。降下してきたレスキュー隊員に名前を聞かれた。答えることができた。

「米沢さん、大丈夫ですよ。助かりましたよ」

地震のほんの数時間前。米沢さんは幸せなときを過ごしていた。この年の2月8日に生まれた多恵さんのお宮参り。家族で記念写真を撮った。

津波は、梱包(こんぽう)資材を商っていた米沢商会のビルで一緒に働いていた父の節祐(ときすけ)さん=当時(74)、母の静枝さん=同(70)、弟の忍さん=同(38)=の命を奪った。いまは最後の家族写真のなかで、大切に抱きしめられた多恵さんを見守る。