【子供の10年 東日本大震災】避難所で描いたママ 夢の原点(1/2ページ) - 産経ニュース

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子供の10年 東日本大震災

避難所で描いたママ 夢の原点

【子供の10年 東日本大震災】避難所で描いたママ 夢の原点
【子供の10年 東日本大震災】避難所で描いたママ 夢の原点
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CGクリエーター目指す 宮下奈月(みやした・なつき)さん(19)

校庭で小学生が野球に興じる。青い空に白球が鮮やかなコントラストを描く。元気な声が響く。宮城県名取市の館腰(たてこし)小学校。穏やかな2月の光景だ。

10年前。ここには家を失った名取市閖上(ゆりあげ)地区の住民たちが、着の身着のまま身を寄せ合っていた。校庭には自衛隊の炊き出しテントが立ち並び、迷彩服の自衛官や自治体の職員がせわしなかった。

大人たちの間を元気に走り回る9歳の女の子がいた。鮮やかなピンクのジャンパーが目立つ。大人たちが何げなく声をかける。

「お母さんはどこ?」

「行方不明!」

悲しげでもなく、あっけらかんと、元気に。母の久実さん=当時(38)=は、津波にのまれた。

お絵描き帳の本音

状況を分かっているのだろうか。心配になった祖母のヨシ子さん(77)が母親のことを話題にしてみた。

「ママのことはあんまり言わないで」

そう、ぽつりとつぶやいた。

口に出す代わりに、せっせと絵を描いた。支援物資にあったお絵描き帳とペン。ママを思い出す。勤めていた警備会社の制服、ラフなトレーナー。いろんなママを、何枚も、何枚も。どれも笑っていた。

震災から1カ月後、ヨシ子さんは、お絵描き帳にこっそり書かれていた言葉を見つけた。

「なんでかぞくが? ゆくえふめいなの? さいごまでママを守れなかった? じしんがきえてしまえばいいのに? わたしは、かぞくが守れるなら命ちにかえてもかえしてほしい。わたしの一ばんほしいものはママがほしい 奈月」(原文のまま)