東日本大震災 私の10年史

子供たちの心に寄り添った元教員「ゆっくりとでも受け止めていく」

【東日本大震災 私の10年史】子供たちの心に寄り添った元教員「ゆっくりとでも受け止めていく」
【東日本大震災 私の10年史】子供たちの心に寄り添った元教員「ゆっくりとでも受け止めていく」
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ありえない光景が目の前に広がっていた。住宅の屋根にのったボート、基礎だけが残った建物跡、道路わきの瓦礫(がれき)の山…。東日本大震災から約2カ月後の平成23年5月、岩手県大船渡市を初めて訪れた宮下啓子さん(60)は呆然(ぼうぜん)と立ち尽くした。当時、宮下さんは大阪府内の中学校教員。臨床心理士の資格を持ち、被災地の学校支援のために1週間派遣された。その後、「被災地の子供たちを支えたい」と教員を辞め、岩手県に移住。スクールカウンセラーとして家族や友達を失ったり、家を流されたりして心に傷を負った子供たちと向き合った。昨春生まれ育った堺市に戻ったが、「第二の故郷」に寄せる思いは変わらない。

(地主明世)

■窮状忘れられず岩手へ

被災地に初めて入ったとき、学校は再開したばかりで混乱のさなかにあった。津波に流され学用品も満足にない。先生自身も被災していたが、子供たちのことを第一に考え、懸命に授業を行っていた。「体も心も張りつめて、まるで『立ち止まったら終わり』かのような、なりふり構わない姿だった」。子供たちは久しぶりに友達に会えて楽しそうだったが、それが大丈夫と言い切れないことは臨床心理士の経験から感じ取った。継続的な支援が必要なことは明白だった。