【医師の10年 東日本大震災】確かなデータ、健康守り続ける 坪倉正治さん(39)(1/2ページ) - 産経ニュース

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医師の10年 東日本大震災

確かなデータ、健康守り続ける 坪倉正治さん(39)

【医師の10年 東日本大震災】確かなデータ、健康守り続ける 坪倉正治さん(39)
【医師の10年 東日本大震災】確かなデータ、健康守り続ける 坪倉正治さん(39)
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「浜通り」

福島県沿岸部を指す、福島の言葉。関西出身で、震災前はなじみがなかった。それが今では、日常の一部になっている。

東京電力福島第1原発事故の起きたこの地域の病院で、非常勤の医師として週の半分を過ごし、週末に東京の自宅に帰る生活を10年近く続けてきた。昨年、福島県立医大の教授に就任し、新たな活動の「拠点」を福島市に構えた。

始まりは1本の国際電話だった。

「帰ったら南相馬に行ってほしい。浜通りだ」

平成23年4月。学会で訪れていたフランスで、当時被災地支援をしていた大学院の指導教官から打診を受けた。「浜通りって、どこの通りやろ…」。インターネットで検索し、原発との距離の近さに驚いた。それでも、数日後、東北大の医学生を助手席に乗せ、車で南相馬市に入った。

地震、津波、そして原発事故。自治体の職員は疲弊し、病院の医師の数も足りなかった。残った医師らとともに避難所を回り、住民の診療に当たった。

「放射線って、何?」

ある時、避難所で、目に見えない恐怖におびえる若い女性に尋ねられた。「放射線ってね」。自然界に存在し、レントゲン(エックス線)検査にも用いられていること、大量に浴びた場合に問題となること…。丁寧に説明すると、女性は安堵(あんど)の表情を浮かべ、「私の友達にも、説明してほしい」と言った。自治体からも放射線に関する住民説明会の依頼を受け、小学校や公民館を回った。

「そんなの、信じられない」「お前、何なんだ」

説明会では、罵声を浴びせられることもあった。「大丈夫」とも「危険」とも、まだ言い切れない。医師として力になりたいが、なれない。ストレスで顔面神経まひになった。

「不安に応えるには、データが必要だった」。23年7月、南相馬市立総合病院で、県内で初めて測定装置を導入し、住民の内部被曝(ひばく)の検査を開始した。

結果、同市の住民の放射性セシウムによる内部被曝は高い地域で「レントゲン数枚分」。継続的な検査で、子供では事故の翌年、大人でも2年後にはほとんど検出されなくなった。24年、約1万人の検査結果を論文として発表。地域の母親らとともに、放射線の知識をまとめた冊子を作り、住民に配った。