東日本大震災 私の10年史

宮城で被災の兵庫の大学生、前へ踏み出す 「もうなかったことにしない」

「震災を体験した自分だから伝えられることがあると思えるようになった」と話す澤田穂咲さん=兵庫県西宮市の武庫川女子大学(南雲都撮影)
「震災を体験した自分だから伝えられることがあると思えるようになった」と話す澤田穂咲さん=兵庫県西宮市の武庫川女子大学(南雲都撮影)

2歳で水泳を始め、水の中では素の自分でいられる心地よさがあった。だが平成23年3月11日、宮城県石巻市の小学4年生だった澤田穂咲(ほさき)さん(20)をのみ込もうとした「大量の瓦礫(がれき)が浮かんだ黒い水」は慣れ親しんだものではなかった。津波は思い出のつまった自宅を押し流し、大切な水泳仲間や同じ小学校の児童25人の命を奪った。あの日から10年。兵庫県内の大学に通う澤田さんは成人を機に、避けてきた震災と向き合う覚悟を決めた。「私なんかが話をしていいのかと思っていた。でも、私だから話せることもあると思えるようになった」。言葉を選びながら静かに語り始めた。

(地主明世)

水泳仲間ら犠牲に

あの日のことは鮮明に覚えている。突然の激しい揺れ。教室に女子児童の泣き声が響いた。迎えに来た母親と歩いて家に帰っていると、どこからか「津波が来るぞ! 逃げろ!」と大声が聞こえ、慌てて学校へ引き返した。足元が水にぬれたかと思うと、一気に勢いが増して濁流に。必死に校舎の階段を駆け上がった。3階から外を見ると1階は水没。「ギリギリだった」

自宅は津波で全壊したため、そのまま学校で避難生活を送った。食事は乾パンとバナナだけ。大人たちは限られた物資を分配しながら、懸命に避難所の運営に当たっていた。それをただ見ていた。「強がっているというか、平気なふりをしていた」

やがて同級生らの訃報が耳に入る。自分よりも早く親が迎えに来た子が犠牲になっていた。同じ水泳教室に通い、いつも一緒だった1つ年下のライバルも津波に奪われた。「実感がなくて…。泣くこともできなかった。『無』でした」

母親から今後についてたずねられたとき、「泳ぎたい」という言葉が口をついた。震災までは、将来の五輪出場を夢見る仲間たちと練習漬けの日々を過ごしていた。「泳いでいるときはすべてを忘れられる。何日も泳げない避難生活に耐えられなかった」

節目の年、気持ちに整理

石巻市に引っ越す小学1年まで過ごした大阪市に戻った。かつて父と母と3人で暮らした街だ。ただ澤田さんが水泳を始めた頃に、父は北アルプスの槍ケ岳で雪崩に巻き込まれて命を落とした。父の記憶はない。