【語り部の10年 東日本大震災】沈黙する校舎で命と向き合う 佐藤敏郎さん(57)(1/2ページ) - 産経ニュース

メインコンテンツ

語り部の10年 東日本大震災

沈黙する校舎で命と向き合う 佐藤敏郎さん(57)

【語り部の10年 東日本大震災】沈黙する校舎で命と向き合う 佐藤敏郎さん(57)
【語り部の10年 東日本大震災】沈黙する校舎で命と向き合う 佐藤敏郎さん(57)
その他の写真を見る (1/4枚)

「もの言わぬ語り部」。災害を今に伝える遺構は、こうたとえられる。平成23年3月11日、児童と教職員84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校も震災遺構としてこの春、公開が始まる。

その大川小で、6年生だった次女、みずほさんが津波に流された。1人の遺族として、中学校教諭として。震災時、学校管理下で起きた最大の被害に向き合ってきた。

「さびしい場所だね、と言われます。でも、ここには町があった。命があり、生活があり、子供たちが走り回っていました」

今年2月、卒業を控えた自衛隊の看護学生ら約20人に語った。掲げた写真には住宅や緑に囲まれた震災前の大川小が写っていた。

平成27年、ほかの遺族らと、「大川伝承の会」を発足させた。翌年から、会として定期的に語り部活動を始めた。

「桜の花が咲くと、中庭でお花見をしながら給食を食べました」

「丸いデザインの校舎は子供たちの自慢でしたが、雑(ぞう)巾(きん)がけのとき、外側の子供は不公平になってしまいます」

沈黙する校舎。その傍らで、震災前、当たり前にあった日常を語る。生き生きとした子供たちの姿や声が浮かび上がってくる。

あの日の午後2時46分、地震が起きた。津波の到達までは51分あった。校舎の裏にはシイタケ栽培の体験学習を行っていた山があり、避難を訴える意見はとられず、校庭にとどまった。ようやく避難を始めたのは津波到達の1分前。北上川のそばにある標高約7メートルの高台を目指す児童らが津波にさらわれた。

勤務していた女川第一中学校で被災し、大川小にたどり着いたのは3日後の14日だった。やっと、みずほさんと対面した。

「眠っているようでした。名前を呼んで、体を揺さぶっても、目を覚まさなかった」

なぜ、子供たちの命が失われたのか。一部の遺族は市と県を相手に訴えを起こし、令和元年に市や学校の過失を認めた仙台高裁判決が確定した。